
まだ東京に住んでいた2001年1月23日、金八先生のロケで毎回使われる某所に行って撮影したものです。
住んでいたところからそんなに遠くないところでもあり、車でふらりと出かけました。
桜中学の生徒や金八先生の姿はありませんでしたが、今日は日曜日なのかもしれないなと納得できました。
テレビの中だけしか見ることのなかった風景を目の前にすると、テレビの中に入り込んだような不思議な錯覚に包まれました。
フィクションとノンフィクションが入り混じる季節というのは不思議なもので、有機質が無機質になり、無機質が有機質になってしまいます。
そんな季節も経験した東京での生活でした。
時が経てば、全ての事が思い出になり、全てのことがやり直せないことになります。
だからといって、きれいな思い出づくりのために明日を生きたくはなく、むしろ思い出は人生の絞りカスだというぐらいに思っていたほうが、いい明日を生きられるのだと思います。
現在過去未来の時間軸に翻弄される人間の大脳ですが、過去のために生きるのは何の意味も無く、未来を作るために今日があるのです。
思い込みというものは恐ろしいもので、できないと思えばできなく、わからないと思えばできてしまうものです。
結論と決め付けの違いを明確に分類できれば、人生の意味や社会のしくみなど、思ったより単純なものです。
そんなむずかしくてかんたんなことをしばし思いながら、年末ジャンボをまだ買っていないことに気づきました。
あしたは、ジャンボでも買ってきます。
未来のためにw