2009年05月17日

残さず食べることと箸の関係

■箸使いは物理学なり
食べられるものが器の上にあり、それを箸で食べるわけですから、当然全部食べなければなりません。
キャベツひと切れがあれば、それを食べなければなりません。
ここで、学習と技能訓練の場となるわけです。
生卵を割る機械のごとく、どの作用点と支点でどの角度にどれだけ力を入れれば良いか、その力をどれだけひねればいいかと、曲げモーメントの域にも入ります。
また、肉などのタレを落とさずに口に運ぶには、どこをどの角度ではさむかも重要です。
まさに、箸使いは物理学なのであります。

■箸使いは生物学なり
顕著に表れるのは、焼き魚を食べるときです。
どの位置にどれだけの太さの骨がどの方向に走っているか、これによって箸の動かし方が変わってきます。
これを知らないでむやみに箸を動かすと、お皿の上はあっという間にミンチができてしまいます。
骨についた膜を境目にそっと箸を入れ、骨の走る方向に箸をするりとすべらせて肉だけをさらりとはぎ取って口に入れる、そんなスマートな箸使いも、魚の構造を知っていれば可能になります。
結果として、お皿の上にはレントゲン写真状態の魚が残ります。
ちなみに、昔飼っていた犬は痩せていました。

■箸使いは社会学なり
食事というのは生き物の必須の行為であるとともに、最も見苦しい情景を見せたりします。
食べ物を作ってくれた人、できた食べ物を運ぶ人、食べ終わったお皿を運ぶ人、それらの人々に感謝の意を表明するためにも、「おいしくいただきました」で終わりたいものです。
最低でも「食いちらかす」という状態は避けなければなりません。

■箸使いは思いやりなり
「いただきます」は食べ物をいただくのではなく、命をいただくことを知ることです。
人は、他の命をいただきながら自分の命をつないでいます。
これはほとんどの生き物に共通していますが、高度な知能を持った人間ならば、そこに思想を持つべきです。
牛や豚に謝る必要はありませんが、きちんと残さず体に入ったからねと言えるような食べ方をして、感謝する気持ちは大事です。
カイワレダイコンをかじった瞬間にたくさんの命は消えているわけですし、スプーン1杯のハチミツはミツバチが一生かかって集めた量です。
言うことをきいてだまって狭いところで生きてきて殺されたのに、皿の上に残されてゴミとなる牛や豚は、あまりにも悲劇的です。
おなかいっぱいだから、嫌いだからという前に、食べたい物を食べられる量だけ用意してもらいましょう。それができないのは、単に初期の判断ミスかわがままです。
箸から話がそれてしまいましたが、カイワレひとつ残さずということで、強引に終わりたいと思います。
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posted by ぁぃ♂ | 岩手 ☔ | Comment(10) | その他食べ物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする