日々の生活に追われ、目先のやりくりにてんてこ舞いな日常。
戦後生まれの自分が生きる平成の時代にも、終戦の日は訪れます。
広い視野で見つめ、確実に史実を知ったうえで書かないとすぐ矛盾点が生まれるのがこの種の話題ですが、あえて個人的な考えとして書きたいと思います。
戦争は悪だ、やってはいけないものだ、そういう考えが突出しすぎではないかと感じることがあります。もちろん、自分も戦争は勘弁ですが。
ただ、戦争とはひとつの手段であり、その道に国を進めたのは当時の政治家や軍部です。手段だけを取り上げ、それは悪だと声高らかに叫ぶのは、あまりにも単調であると思うわけです。
ならば、悪いのは当時の政治家や軍部なのか。彼らは確かに当事者です。責任を持つ立場の人です。
上手に政治をやらなかったから、それが悪いことなのか。そう考えるのも単調すぎるのではないかと思います。
仮に考えられる手段をひとつひとつ合理的につぶされ、残った選択肢が滅亡か戦争かのどちらかでしかなかった場合、苦渋の決断として戦争という手段を選んだことは、これは悪なのでしょうか。
目先で血が流れるのが嫌だから戦争は嫌だ…では、いつまで経っても人類は戦争をやめないでしょう。悪とは戦争でも政治でもなく、ましてや日本でもアメリカでもなく、人間そのものであるのかもしれません。
進化とは決して目に見えるものだけではなく、様々な心理や思想にも及ぶ言葉であると思います。昔から全く進化していないこと、逆に退化してしまっていること、それらも視野に入れながら今の状況は進化と言えるのか、このまま前に進んでいいのか、そういうことをゆっくりと考える時間がどの人間にも必要ではないかと思います。
8月15日、そういう意味では、この日は特別な日であるといえるかもしれません。
今までにしたことの無いような壮大な規模で遠くから見つめることにより、人間自身の愚かさが見えてくるのかもしれません。
どの国の戦死者も人間の愚かさが生んだ犠牲者です。簡単なことではありませんが、一人一人の人間が少しずつ成長し、本当の意味で賢く進化していけばいいなと思う次第。
それでも状況が変わらないのなら、人間という生き物はそういう生き物だということです。誰も悪くはありません。バカな生き物がいただけのこと、ざんごう掘りや爆薬で死んだ人間以外の生き物に対してごめんなさいということだけです。
自分は右翼でも左翼でもなく、ましてや市民団体でもありません。支持している政党もなく、どの宗教にも属していません。
日本の風景が好きな、日本に生まれた日本人なだけです。