2010年10月05日

旅行に行く理由の散文

年に2回ほどひとり旅をするのですが、旅行というよりは知っている人がいない場所を歩きたいわけです。

以前東京に住んでいた時の虚無感は快感でした。どこにいても「自分」と「自分以外」の二者しかいませんでした。

基本的にひとりが好きなので、できれば誰とも話さずに1日が終わればいいと思いながら東京で生きていました。

岩手での暮らし。家族や親戚やお客様や同業者。「自分」が「自分以外」の中に自ら歩んでいって作られるこの世の生活。きわめて当たり前であり、これこそが日常の幸福なのでしょうが、自分の中の人は毎日ストレスを少しずつため込んでいるわけです。

そこで旅に出るのであります。といっても近場ですが、知っている人がいない場所なら近くてもそこは旅先であります。

気分転換とかリフレッシュとか結果的にはそうなりますが、出かける前の心理はエスケイプただひとつのみです。

決して今の生活が嫌なのではなく、できればここを離れたいとも思っていません。エスケイプなのですが、ベクトルはマイナスではないのであります。

離脱による解放感、それだけでもかなり心地よさを感じますが、離脱したついでにふだん触れることの少ないものに触れてくるわけです。

それは風景や展示物のみならず、知らない人の生活をウインドウの中から見ていたり、アーケードの歩道で笑いながら歩く人とすれ違うときに漂う匂いを嗅いでみたり、お客さんに奉仕する労働者の姿を見ていたり、いろいろです。

そういう意味では、見学者という言葉が合いそうです。労働から解放された自分の背中を押すのは自分だけ。そういうのんびりした目で、周りを見学するとおもしろいです。

旅とは旅行のことを言いますが決してそれだけではなく、自分自身をもてあそぶことも旅だと思います。つまり、幽霊に変身するわけです。

人それぞれにその時々に旅は存在しますが、今の自分の旅行とは、そんな意味合いを持っています。
タグ:旅行
posted by ぁぃ♂ | 岩手 ☁ | Comment(6) | TrackBack(0) | その他旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする