
東日本大震災で震度6強の揺れに襲われた仙台市内、その後の計測で場所によっては震度7の揺れだったこともわかってきています。

レンガ色の仙台駅の大部分が足場とシートで覆われていました。

近寄ると足場の規模の大きさに驚かされます。
地震直後の仙台駅構内の映像を見つけました。→ここ

以前こことここで来た駅構内の牛たん通りとすし通り。牛たん通りまでは入れましたが、その奥のすし通りには壁ができていて行けませんでした。
すぐ横の「味の牛たん喜助」の店員さんに訊いてみると、奥の非常階段が崩れて消防法に引っかかるために、すし店などが営業できなくなっているとのこと。傷は深いです。

パッと見るといつもの風景ですが、ビルと歩道の間がひび割れて段差ができていたり、閉店している店もまだまだありました。

まだまだ傷が癒えない仙台市と仙台市民。それでも街は観光客に笑顔で接してきてくれます。
ライフラインは少し前に復旧したばかり、4月29日からようやく営業を再開できた店もたくさんあります。

それでも賑わう夜の仙台市。街の力、人の力、ただただ感謝です。

S-PALの地下では、復興写真展が開催されていました。手前の無料電話は今も使えます。まだまだ震災は終わっていません。

ここS-PALの地下は地震当日の夜に臨時避難場所になり、たくさんの帰宅難民の人たちがここで寝泊まりしたそうです。そのもようの写真も多数展示されていました。

こういうメッセージがいちばん響いてきます。ひとりひとり違う顔、ひとりひとり違うメッセージ、勇気は大きな総論から生まれるものではなく、人間ひとりひとりの言霊の集合体から生まれるものなのかもしれません。
仙台にいるので、車で少し走ればYouTubeなどに投稿された現場に行くこともできました。しかし、少しでも野次馬的な発想で行動することは失礼以上にモラルに反することにもなるので行きませんでした。
普段通りに仙台の街並みを歩き、その節々で目に入る風景にこそ等身大の今があるのではないかと思った次第。
もちろん、その等身大とは地元の人々のがんばりで支えられているもの。つくろいのある等身大かもしれませんが、それを普段通りに受け止めながら街や人に接することも、観光客としての「がんばろう」のメッセージになるのではないかと思いました。
次回は「仙台ひとり旅〜2日目夜食編」です。