あの日から3年、Youtubeなどで時々動画を見ることも、ベルトに携帯ラジオをつけておくことも続いています。
何点かの動画はDVDに焼いて保存し、この先も確実に見ることができるようにしました。
2年目と3年目で確実に違うことは、風化の進みを感じることです。
「日常」が1日1日と重なって、「平和」が「日常」の代名詞になってきています。
記憶は過去へ過去へと押し戻され、今日や明日のことだけを考えるような平和が日常の中にあります。
新しいものや出来事を素直に受け入れることは、過去を風化させることではありません。
脳の記憶量にたとえ限度があったとしても、新しいものは受け入れていかなければ人は生きていけないからです。
ただしこれは物理量の話であって、人は記憶を化学変化させて今日と融合させることができます。
結合させるのではなく、混合させる。混合させることによって、そこから新しいものが生まれてくる。その新しいものもまた、今日と言えるはずです。
進化は文明だけの言葉ではなく、人の思考にも当てはめることができる言葉です。
過去を今日と融合させ、新しい明日を生きていく。その差分がさらにその次への活力になるのかもしれません。
正しいと言えることは、決してひとつではありません。明日の正しさは今日の正しさと違うかもしれません。
定まらないのが人という生き物であるならば、記憶の化学変化で新しい明日を見つけることができるのも、人という生き物なのだと思います。
弱くもあるが強くもある。もろくもあるがしぶとくもある。人はみんなそういうものだと思います。