2015年12月31日
2015年12月25日
2015年12月24日
今年も三種の神器
例のごとくクリぼっちなわけですが、今年も三種の神器は欠かせないのであります。
ミニ丸ケーキ、ハーフサイズのチキン、シャンメリー。
全部食べてしまいましたが、明日も小規模ながら何か食べる予定。
ところで、ケーキの上のサンタさんですが、この顔、どこかで見た記憶があるなと思っていたら…
これでしたw
2015年12月23日
2015年12月21日
ショパン 24の前奏曲 第15番 変ニ長調 「雨だれ」
まだ小さいころ、住んでいた家には雨どいがありませんでした。
梅雨時の長雨のときは、窓の外には薄暗い雲を背景に一筋また一筋と屋根から流れ落ちる水筋が日が落ちるまで見えていた記憶があります。
梅雨時の長雨は湿度も上がって不快な気候ですが、それはすべてを捉えているからです。
ひとつの感覚器をシャットダウンさせるとき、これほど沁みる情景はおそらくあまり無いでしょう。
雨粒の落ち方も、筋の描かれ方も、水面の波の立ち方も、それらを目で追う動きも、そこに規則性は存在しません。しかし、その不規則性がマクロな規則を生み出すとき、右脳はそれを掌握できるのだと思います。
https://youtu.be/qIqmd1g8GMQ
梅雨時の長雨のときは、窓の外には薄暗い雲を背景に一筋また一筋と屋根から流れ落ちる水筋が日が落ちるまで見えていた記憶があります。
梅雨時の長雨は湿度も上がって不快な気候ですが、それはすべてを捉えているからです。
ひとつの感覚器をシャットダウンさせるとき、これほど沁みる情景はおそらくあまり無いでしょう。
雨粒の落ち方も、筋の描かれ方も、水面の波の立ち方も、それらを目で追う動きも、そこに規則性は存在しません。しかし、その不規則性がマクロな規則を生み出すとき、右脳はそれを掌握できるのだと思います。
https://youtu.be/qIqmd1g8GMQ
2015年12月17日
ベトナム焼きそば(シュリンプ)を食す
ちょっと変わったカップ麺を見つけたので食べてみることにしました。輸入食品のベトナム塩焼きそばです。
東南アジアの麺なので、タピオカが入った麺ですな。ツルツルモチモチ指向になります。
右上がかやく。左上が粉末スープ。左下が調味油。右下が折りたたみフォーク。麺も袋に入っています。
容器は発泡スチロールですが、ふたはプラスチック製。湯の捨て方は旧ペヤング方式。
お湯を入れて捨てて3分後に完成。ワカメが入っていて、この生臭さがやや抵抗あるかも。
さっそく食べてみましたが、海鮮エキスというか出汁というか、けっこうコクのあるかんじ。
塩味の出し方が独特で、均等にまんべんなく塩味の膜で包むといったやり方でなく、いわゆるかっぱえびせんのように、味のついていない主役に強めの塩味をピンポイントで置いていくような方式。
塩味と同時にうま味もピンポイントで強めに点在するため、おもしろい味覚です。
麺は悪く言えばボソボソですが、これは食文化の一部だと思うので、ある意味さすが輸入モノということになると思います。
日本製のカップ麺にありがちなかやくへの下味付けはほぼ無く、エビ自体にも味は無いです。ただ、ここに先述のピンポイント塩味攻撃が加わるので、結果的に不満は無い次第。
総じて、ものすごくおいしいというわけではないですが、ちょっと変わった焼きそばを食べてみたいという欲望は満たすことができるだろうなと思うわけです。
容器内には折りたたまれたフォークも入っています。自分は割り箸で食べましたが、箸を使えない人にはポピュラーな食器でしょう。
フォークの先が広がるような形状になっており、麺をつかみやすそうです。表面もつるつるしていないので、適度な摩擦力が出そうなフォークでした。
広げて裏返してポッチにはめて固定。パチッとはまって抜けることは無く、基本設計はいいです。
インドとかタイとかベトナムとか、東南アジアや南アジアの食べものはいいですな。あっさりしていてうま味が強く、スパイシーで辛いものが多い印象。少なくても、皿にソースで絵を描くような食文化よりはこっちのほうが好きです。
2015年12月14日
ベルナー CL Vスライサー購入したったった
ずっとずっと買おう買おうと思っていましたが、ずっとずっと包丁1本でやりすごしていた野菜の薄切り。
たまには面白半分で料理っぽいこともするので、千切りもしたかったりする次第。
また、カタツムリにあげるサツマイモやキュウリなどを厚切りにすることも多く、なんだかんだ細々多方面にあれば便利なツールなわけです。ひとつの用途だけを考えれば包丁1本で済むわけですが、これがあればかなりの範囲が一気に便利になるのであります。
厚切り、薄切り、千切り(細)、千切り(中)、千切り(太)の5パターンの切り方ができ、野菜に切込みを入れておくとみじん切り(小、中、大)もできます。
この商品の最大の特長は、鋭角に据えられたV字刃。切るときの抵抗が少ないので、すいすい切れそうです。
また、切る領域の幅が9cmあり、キャベツのような大きい野菜も半切りくらいにすればそのまま千切りができそうです。
これは千切り用の刃。
危険な刃物も安全に収納。
まだ買ったばかりなので使っていませんが、こんなふうに切れるみたいです。
https://youtu.be/LKAhxkeNwVY?t=5m44s
2015年12月13日
ふたりの天使 Concerto Pour Une Voix
1. ダリダの「ふたりの天使」
中学生の時、FMから流れてきたこの曲を聴いて心を吸い込まれました。「ふたりの天使」を初めて聴いたのも、このダリダのバージョンです。
フランス語はダリダの声のためにあり、ダリダの声はふたりの天使のためにあり、ふたりの天使はフランス語のためにある、そう思えた時、この奇跡の結合現象に身を震わせたのであります。
東方見聞録の中で語られるジパングのように、遠い遠い国フランスに思いをはせたのでありました。
https://youtu.be/ZdfSpJ6uA7o
2. ダニエル・リカーリの「ふたりの天使」
この人もフランスの歌手です。「ふたりの天使」では、恐らく最も有名なバージョンになると思います。
スキャットの高音部ではグラデーションの不透明度が増し、やや不快な反響とともに現世との距離をどんどん離していきます。
楽器の奏でる音はそれとは対の存在で、地に根を張った地の人間の音。曲が進むにつれて地の人間の音は天使の声を遠ざけ、天使の声も地の人間の音をどんどん遠ざけていきます。両者の間の真空度は時間とともに増し、やがて無の世界がそこに広がっていきます。
それでも天使は地に降りることはなく、地の人間も地から離れようとしません。両者のそれぞれの音の間にある真空の無の世界。ふたつの音は確かにあるのですが、間が真空のため相互に相手の音が聞こえません。
しかし、第三の次元にいる場合はこの両者の音を同時に聞けますが、両者の距離感までは消すことはできません。
https://youtu.be/BFR2aqzKezk
3. どこかのライブ会場での「ふたりの天使」
ステージ上を天使が大真面目に舞いますので、、大笑いするか魂を抜かれるかのどちらかでしょうな。
https://youtu.be/bphPd5n-U04
中学生の時、FMから流れてきたこの曲を聴いて心を吸い込まれました。「ふたりの天使」を初めて聴いたのも、このダリダのバージョンです。
フランス語はダリダの声のためにあり、ダリダの声はふたりの天使のためにあり、ふたりの天使はフランス語のためにある、そう思えた時、この奇跡の結合現象に身を震わせたのであります。
東方見聞録の中で語られるジパングのように、遠い遠い国フランスに思いをはせたのでありました。
https://youtu.be/ZdfSpJ6uA7o
2. ダニエル・リカーリの「ふたりの天使」
この人もフランスの歌手です。「ふたりの天使」では、恐らく最も有名なバージョンになると思います。
スキャットの高音部ではグラデーションの不透明度が増し、やや不快な反響とともに現世との距離をどんどん離していきます。
楽器の奏でる音はそれとは対の存在で、地に根を張った地の人間の音。曲が進むにつれて地の人間の音は天使の声を遠ざけ、天使の声も地の人間の音をどんどん遠ざけていきます。両者の間の真空度は時間とともに増し、やがて無の世界がそこに広がっていきます。
それでも天使は地に降りることはなく、地の人間も地から離れようとしません。両者のそれぞれの音の間にある真空の無の世界。ふたつの音は確かにあるのですが、間が真空のため相互に相手の音が聞こえません。
しかし、第三の次元にいる場合はこの両者の音を同時に聞けますが、両者の距離感までは消すことはできません。
https://youtu.be/BFR2aqzKezk
3. どこかのライブ会場での「ふたりの天使」
ステージ上を天使が大真面目に舞いますので、、大笑いするか魂を抜かれるかのどちらかでしょうな。
https://youtu.be/bphPd5n-U04
2015年12月08日
ベートーヴェン ピアノソナタ 第14番 「月光」
もともとはヨーロッパの古城が月の光に照らされて深いコントラストを描いている雰囲気なのですが、符間に潜む湿り気に気付くと妙に日本的に感じる時があります。
大変きれいな旋律でα波も自然とにじみ出ますが、喜怒哀楽の哀と共鳴しだすと富士の樹海のオーラとも不思議と一体化する冷たさも感じます。
いわゆる「月光」で知られているのはピアノソナタ第14番の第一楽章なわけで、他に第二楽章と第三楽章がありますが、この中の第三楽章がまた第一楽章とは違った激しさがあり、自分的には第一楽章とともに第三楽章も結構好きなわけです。
https://youtu.be/0siIoIWd62c
大変きれいな旋律でα波も自然とにじみ出ますが、喜怒哀楽の哀と共鳴しだすと富士の樹海のオーラとも不思議と一体化する冷たさも感じます。
いわゆる「月光」で知られているのはピアノソナタ第14番の第一楽章なわけで、他に第二楽章と第三楽章がありますが、この中の第三楽章がまた第一楽章とは違った激しさがあり、自分的には第一楽章とともに第三楽章も結構好きなわけです。
https://youtu.be/0siIoIWd62c
「音楽」カテゴリ新設
あえてこのジャンルにはあまり触れずにきたのでありますが、たまに書きたくなったら書いてみようと思える場所が自分ブログなのかもしれないということになり、相変わらずくどいわけですが短めに書くかもしれない次第。
どんな宗教にも翻弄されない自信がありますが、音楽はかつて自分を翻弄し続け、深く宿り、それは今でも反応熱を右脳に届けます。
生き物は体を作り維持するために栄養を摂取しますが、心の栄養のひとつが音楽なのかなとも思います。ビタミンみたいなもんです。
元気づけるための音楽とか癒すための音楽とかそういう日常に近いところのツール的なビタミンではなくて、もっとこうなんといいますか深いところの栄養です。もちろんツールにもなりますが、本来は源は深層にあると思います。
西洋医学の対面に漢方があるように、酸素の対面にあるのが音楽かもしれません。
どんな宗教にも翻弄されない自信がありますが、音楽はかつて自分を翻弄し続け、深く宿り、それは今でも反応熱を右脳に届けます。
生き物は体を作り維持するために栄養を摂取しますが、心の栄養のひとつが音楽なのかなとも思います。ビタミンみたいなもんです。
元気づけるための音楽とか癒すための音楽とかそういう日常に近いところのツール的なビタミンではなくて、もっとこうなんといいますか深いところの栄養です。もちろんツールにもなりますが、本来は源は深層にあると思います。
西洋医学の対面に漢方があるように、酸素の対面にあるのが音楽かもしれません。