2017年03月23日

逃げ恥のミトンだった次第

逃げ恥のミトンだった次第

前から会社で使っているミトンなのですが、これが「逃げるは恥だが役に立つ」で使われていたものということでネットで品切れ続出中ということを最近知り、なんとなく記念にアップw
ちなみに、「逃げるは恥だが役に立つ」は一度も観たことはありませんヾ(^-^;)

.....@ノ”<殻は重いが役に立つ
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2017年03月17日

納豆食(なっとく)せんを食す

納豆食(なっとく)せんを食す

いつもお世話になっている方からいただいたのは、「納豆食(なっとく)せん」。
どうやら、南部せんべいと納豆が合体したようなお菓子のようです。


納豆食(なっとく)せんを食す

なるほど、練り込むのではなく、互いをクラッシュさせて押し固めたような構造です。これは新しい発想です。


納豆食(なっとく)せんを食す

ほんとだw ゴマの南部せんべいと乾燥納豆が岩石のようにくっついてます。
さっそく食べてみましたが、当初の硬そうなイメージとは違ってサクッと砕けます。納豆の香りや味がしっかり感じられると同時に、ゴマの香ばしい風味も負けずに主張があり、これはまさにがっぷりよつのいい勝負。
しかし、その勝負の結果は炭水化物の減少とたんぱく質の増加をもたらしているわけで、これはまさしく健康食なのであります。
臭くて粘つく納豆をこんなに簡単に摂取でき、硬くて歯が心配な南部せんべいをサクサク食べることができることは、これはかなりおもしろいと思う次第。
南部せんべいは巖手屋(いわてや)、納豆はヤマダフーズ。岩手と秋田の合体が生んだ新しい健康食です。名前もいいしラベルもいいし、これ売れるかも。
こういうミックスは歓迎したいですな。次は秋田比内地鶏のスープでわんこそばを食べたい次第(^O^)
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2017年03月13日

コッコクックでレンジでゆで卵

コッコクックでレンジでゆで卵

今日はコッコクックというものを使って、レンジでゆで卵を作ってみる次第。


コッコクックでレンジでゆで卵

最大4個まで同時に作ることができます。


コッコクックでレンジでゆで卵

中に規定水位まで水を入れた後に卵を投入。今回は4個作ります。


コッコクックでレンジでゆで卵

500Wの場合は5分半で半熟卵、8分で固ゆで卵になるようです。しっかり固ゆでにしたいので、9分加熱することにしました。


コッコクックでレンジでゆで卵

9分後に取り出して水道水で冷却。中の芯までしっかり冷やします。


コッコクックでレンジでゆで卵

ありゃ、半熟気味w これはこれでうれしい誤算なわけで、おいしくいただいた次第。

生卵をレンジで加熱すると爆発しますが、この容器は生卵を金属で覆い、下部の水を沸騰させて蒸すようなしくみで調理するようです。
ただし、水が少なかったり加熱時間が長かったりすると爆発する可能性があるので、注意する必要があります。今回も1分多く加熱したので、ドキドキしながら見守った次第。

実際、お湯でゆで卵を作るのは意外と面倒なものです。そういう時にレンジで作ることができるのは便利なことです。
送料込1000円で買いましたが、数千円で売っているところもあったりします。ただ、銀行などの景品になっていることもあるようで、実際はかなり安価かもしれません。つか、おもちゃですなw
使う際は、加熱爆発&衝撃爆発&冷却爆発を想定しながらなので、まさに恐る恐る丁寧に取り扱う必要がありそうです。
ちなみに、レンジでゆで卵を作ることについて、国民生活センターが注意を促しています
読んでみると、なんだかやばそうですなw
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2017年03月11日

あの日から6年、意識の微分化


北国では3月はまだまだ冬です。蛇口から注がれる冷たい水で手を洗うと、骨まで冷えて次第に感覚が無くなって思うように動かせなくなります。

突然押し寄せてきた蛇口の水よりも冷たい海の水で体の自由を失って命を奪われた人。それでもなんとか助かった人。どちらにしても、どんなに冷たかったんだろうとこの時期になると毎年思います。
瓦礫とともに押し寄せた濁流。その濁流は、生きる者の自由を奪いました。
気が狂うほどの冷たさは、肉体と精神の希望を奪いました。

忘却や慣れは重力のように常に作用し続けるので、これからも同じように作用し続けるでしょう。避難方法や非常持出袋などの備えについて再確認するだけでは、その作用から逃れることはできません。
数は足りているか、もっと別の方法は無いか、社会の成熟から新しいものが生まれていないか、備えという行為そのものに常に改革や改新を施し、この行動自体を生き物のように扱っていかなければならないのだと思います。

常備品や非常持出袋の中身を昨年大きく変えました。準備開始当時の「万全」の多くが現代の「机上の空論」になリ始めていたことを感じていたからです。机上の空論を定期的に再確認しても意味が無く、改革や改新で現代の息を吹き込む行為が必要だと思います。生き物は生きているので呼吸が必要だということです。

あの日から6年。習慣やイベントのように振り返るのではなく、日常的に自分で自分の背中を押す労力が必要な時期に入りつつあるのかもしれません。
背中を押してみて過去の影と今の実体との差を見つめ、影の輪郭が違えば意識を見直し、影の濃さが違えば頭上の雲を取り除かなければなりません。
差分を意識して変化に敏感になる、この姿勢を懸命に維持していくことが、未来への備えにつながるのだと思います。

停電で真っ暗になった夜の風景には、輪郭というものがありませんでした。頭上には小麦粉を振り撒いたような星屑があり、その中に細くて暗い冬の天の川が弧を描いていました。一生忘れられない風景です。
 
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