あの日から10年。
震災発生から今までのことを思う時、震災前の時代がいかに穏やかな日々の連続だったかということに妙な驚きを感じます。あの日を境に社会や世間や生き方を変えた天変地異は、10年経っても辛く悲しく重い記憶です。
応急の仮設住宅にいまだに住んでいる人もいます。建材の耐用年数を超えたプレハブ住宅では、雨漏りやカビの発生に苦しむ住人が今日も暮らしています。この人たちにとっては、震災は10年経っても令和という時代の中で現在進行中です。
ネットの中にはたくさんの震災関連の動画が存在します。あまりの生々しさゆえに、見ると鼓動が速くなるようなものもたくさんあります。
過去との距離が遠くなればなるほど悲しみや恐怖の感覚が薄れていきますが、時々とは言わなくてもせめて年に1度ぐらいは見たくない動画も見て恐怖の感覚を取り戻すことは重要だと思います。
恐怖は次の教訓になります。悲しみは次の支えになります。あの日起こった紛れもない事実をしっかりと受け止める強さは、人間の進化の上で必要なものです。
そしてまた、新たな天変地異が起こりました。今までの時代がいかに穏やかな日々の連続だったかということに驚きます。この感覚は震災以来です。
手洗い、消毒、マスク。人との距離を開け、人と接しないことが感染予防となる。端的に言うと、人と簡単に会えなくなりました。
人は人と接し、話し、笑い合って生きていくものです。それをここまで強く制限されることは人生初めての経験です。
まさに文字通り、生活様式を変えなければならないほどの天変地異が、今日も継続中です。
震災の人的被害の話になりますが、まだ発見されていない行方不明者の数は2500人以上です。このひとりひとりに家族がいます。その家族は遺骨が戻らないまま10年が過ぎました。仮に自分に同じことが起こった場合、これはたまらないです。
自分の場合は罹災といっても電気や水道などのライフラインが数日停止した程度でしたが、家が流されたとか行方不明でいまだに戻らないとかそういう人たちがたくさんいることを思う時、10年経っても大きな悲しみが襲ってきます。
人の悲しみがこんなにも悲しいのに、もしそれが自分自身に起こった場合に自分は耐えられるのだろうか。そう思ったとき、それを1%でも回避できる方法が準備や心得であり、非常持出袋だと思っています。
あの日から10年。
これから先も様々な天変地異が起こると思います。しかし、それに対しての備えはいつでも誰でもできることです。その備えが、いざという時の心の支えになり、生活の糧になります。
自然災害の多い日本に住んでいく以上、その国に住む住人は危機に対してある程度の自立が必要だと思います。国や他人を頼りにして自分が何もしないことは、同居人にとってはもはや卑怯です。みんなが自立し、その上でみんなで助け合うような強い国民になっていけばいいなと思います。