2010年02月13日

見解-ネット社会の中の新聞について

インターネットというものを使うようになってから、ニュースもネットで読む機会が多くなりました。Yahooやmsnやlivedoorや時事ドットコムあたりを毎日徘徊しています。
中でもYahooの場合はMyYahooというものがあり、ここで新聞の全国紙や地方紙の記事まで読んでいると、これはもう便利なわけです。
何がいいかと言えば、まず時間に関係なくいつでも読めること。そして常に最新の記事であることです。

しかし、そんな状況でも新聞はとっていて、もちろんそっちも読んでいます。まあ、とっくに既読の記事だらけなのですが。
それでも読むところというものは確実にあり、超ローカルな記事などはネットに多くは載りません。そんなわけで、気がつくと紙面の下半分ばかり見ているわけです。
確実に読まなくなった欄は番組欄でしょうか。さらに詳しい番組内容をタイムリーに表示してくれるネットの番組表は、確かに利便性は高いです。

左脳的な発想は以上ですが、自分的には新聞は右脳にも響くものであったりするわけです。
朝起きて一日の始まりの場には、やっぱり新聞というものが無いと寂しいです。情報が詰まった紙の物体というものは、やはり存在感があります。自分の場合は家の新聞は夜読み、朝は会社でとっている別の新聞を会社で読むパターンなのですが、地域のニュースは早く知っておきたいわけです。
もちろん、地域のニュースといえばチラシ。スーパーやホームセンターなどのチラシは必ず目を通します。というか趣味でもあるので、そこが一番読み応えがあったりするわけです。
例えば、カップ麺が83円のチラシを見たりすると感極まるものがあり、昼休みや夜に買いに行きます。ポイントを貯めるのが好きな某評論家もいるようですが、自分の場合は通常販売価格と大差のある価格の商品を買うのが趣味で、いわゆる安売り環境でのショッピングが好きなわけです。それに必須なアイテムはチラシなわけです。
最近では、そのチラシでさえネットで閲覧できるようで困ったものですw

地域の詳細なニュースやチラシが必要なうちは、新聞はとり続けるでしょう。あと朝っぽい雰囲気も。
よくネットをいろんなものの代替品として必要かどうかを論議しがちですが、結論から言えば共に必要であることが多いと思います。
紙媒体には紙媒体の良さがあり、ネットにはネットの良さがあります。その偏りが極度に大きな人は、どちらかを捨ててもいいでしょう。しかし幅広い視野を保ちたい場合、やはり100:0の結論には届かないわけです。レストランに入って、水がセルフサービスだったときの寂しさに似ています。接客の水ぐらい持ってこいよ、文化だろ。そう、文化です。朝の新聞も文化なのであります。ここまで書いてしまうと左脳だ右脳だ言う前に、文化ですの一言で片付きそうですけど。
いやはや、新聞をとり続ける理由がこんなところにあったとは、今さらながら心外でもあるわけです。
posted by ぁぃ♂ | 岩手 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己的見解 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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