3月11日午後2時46分、自分は会社にいました。まず携帯が緊急地震速報の「ビョーッビョーッビョーッ」という音を出しました。ほぼ同時に街の防災行政無線がテレビの緊急地震速報で聞く例の音を出しながら「大地震です」と鳴りました。その時点ですでに震度2ぐらいで揺れており、ふとPCを見ると緊急地震速報の画面が本震到達までのカウントダウンを始めていました。ただし、表示されていた予想震度は震度3だったので、この前の地震ぐらいの揺れが来るんだなと思っていました。
ところがすでに始まっていた揺れが徐々に大きくなり、上下左右にと不規則になりつつ、その振幅を大きくしていきました。
本震はカウントダウン通りにゼロのときにやってきました。その数秒後、パッと電気が消えました。テレビでよく見る揺れの中で電気が切れる現象を目の当たりにし、この地震は今までにないものだとすぐ感じました。
その揺れはとてつもないもので、会社の食器棚を手で押さえながら背の高いロッカーや棚が倒れてこないか目を向けました。そのとき食器棚の上に置いていた恐竜の模型などが落ち始め、揺れはさらに続いてゆっくりとおさまっていきました。
地震のやばさを思い、まだ揺れは終わっていませんでしたが、千鳥足で会社を出て車のエンジンをかけて家に向かいました。
家に着く途中の道路には、大きな揺れで建物の外に逃げてきた人がたくさんいて、尋常でない地震であることを感じました。
家についてすぐ親の安否を確認しましたが、幸いにも家具などの倒れや親の怪我も無く、上から物が落ちた程度でした。
家も停電状態であることを確認し、落ちてきたものを確認しながら片付けを始めました。ここで、この地震だと断水の可能性もあると思い、倉庫からポリタンクを引っ張り出して水をため始めました。浴槽に残り湯があることも確認していましたが、ありったけの大きめの器を出して水を入れて風呂場や流しに置きました。
そのときに何となくですが水圧の低下を感じましたが、全部の器に水を入れ終わったころには水圧は3分の2ぐらいにまで下がっており、それから1時間後には箸1本ぐらいの水しか出ませんでした。
停電でテレビが映らないのでラジオを大音量でかけ、状況の把握に努めましたが、そうしている間にも震度4クラスの余震が次から次へとやってきました。ここで車載テレビがあったことに気づき、エンジンをかけてテレビを見ましたが、そこには何十台もの車や2階建ての建物が津波で流される映像が映っていました。
電気や水道の復旧は数日は無いと思い、また会社に戻ってありったけの懐中電灯や電池、ラジオなどを持ってきました。このとき、余震で落ちそうなものを全部床までおろし、飼育中の生き物の飼育ケースの安全も確認しました。
外は少しずつ暗くなり始め、そして真っ暗な夜を迎えることになります。
(「暗闇の夜編」に続く)
2011年03月13日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック