会社から急きょ帰宅した家。停電の中で大音量で流れるラジオの声は次から次と被害の大きさを連呼し、携帯は5分から10分おきぐらいに緊急地震速報のブザー音を発し、そのたびに来る震度4〜5の余震。
ラジオの大津波襲来のニュースで、ここで初めて車載テレビがあることに気づく。車の中でテレビをつけると何十台もの車が押し流される映像。何分見入ったかは記憶になく、親に尋常でない災害であることを告知。ここで初めて妹に無事であることを携帯メールで連絡。
復旧しない停電に断水の可能性を考え、ポリタンクを引っ張り出して水の確保を開始。同時にありったけの大きい容器を風呂場や洗面所に置いて水をためる。
ここで一度会社に戻り、反射式ストーブとラジカセ、ありったけの電池と懐中電灯をかき集めて家に戻る。
いつの間にか鍋でご飯を炊いていた親、その日の夜は停電なので冷蔵庫から悪くなりやすいものを優先しておかずにする。ちなみにニシンの塩焼き。
とにかく慌ただしく走り回る繰り返しで、あっという間に日没。その後は携帯テレビとラジオででかい余震の中で必死に情報収集。翌朝の買い出しを想定して早めに寝る。
予期していなかったことは、車載テレビも携帯テレビも地震発生翌日には映らなくなっていたこと。ひとつまたひとつと映るテレビ局が減り、しまいにはNHKまで映らなくなりました。中継局が非常バッテリーを使い果たした結果だと思います。
携帯基地局も何か所かダウンしたようで、携帯の電池がどんどん減っていったことも予期していなかったことです。
そんなこんなで、携帯に届いたメールに返事するのもままならない状況でした。つか、リアルタイムで届いていなかったメールも多々あったのも事実。たくさんの方々にご心配をかける結果となりました。
ただ、肉体も精神もこのときは完全にサバイバル状態になっており、頭の中は常に緊急非常会議、慌ただしさがかなり極限まで達していました。家を自衛することをとにかくやらなければならなかったのであります。
あれからもうすぐ一か月なんですね。うそみたいです。昨日のことのような感覚が強いです。
発生からは一か月経ちましたが、災害はまだまだ続いています。サバイバルの要素が消えるのは、もう少し先のようです。
2011年04月07日
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