2015年03月11日

あの日から4年、意識の再起動


あの日から4年。あの東日本大震災は4年前の出来事になりました。
非常持出袋の用意、ベルトに固定しているラジオ、時折見るYoutubeの動画、記憶の風化を少しでも抑えようと今でも行っています。
これらは何のためにやっていることなのか、それは次の災害が起こった時のためです。あれほどの大災害はもう起こらないだろう、そんなことは誰にもわかりません。あの日から1年2年3年と数えることは、同時に次の災害まであと2年1年と数えていることかもしれません。
災害の中身も311とは違うかもしれません。震源地が近ければ揺れによる物理的な被害が最大になるかもしれませんし、押し寄せてくるのが炎かもしれません。
第一次災害と同時に第二次災害からも身を守らなければならない、そのための準備として何ができるのか、それに対処しようとする危機感だけは風化させてはならないと思います。


あの日、車の中のテレビで『200人から300人にのぼる遺体が発見されました』と読み上げるアナウンサーの声を聞き、生まれて初めて"言葉を無くす"ことを体験しました。死者の数が100人単位の誤差で語られたのです。今振り返っても不思議とその数字の感覚がよくわかりません。恐らく、現場で実状を見ないと理解できないのかもしれません。
そのようなことが確かに現実に起こったのです。こんなことはもうないだろうと思いこむことは明らかに不自然なことであり、それは間違いです。
なぜならば、生きている星はその活動性質上無法地帯だからです。地震、噴火、大雨、疾病、様々な事象に人間はまだ対処しきれません。その差分領域は死者や負傷者で埋められていくのが現実です。
個人の知恵が集まって化学変化したものが社会の知恵であるならば、個々は知恵の産出を止めてはいけないと思う次第。個の知恵は少なくても個の役に立ちます。そして、それを交わすことにより社会の知恵となります。


マニュアルを定説化したような危機管理の絵を描ききったがごとき情景を時々見ることがありますが、その安堵感で意識の緊張度が下がらないようにすることも危機管理のひとつだと思います。
非常持出袋も用意した、町内の避難経路も確かめた、火の起こし方も覚えた、もう寝ていても助かる、これは間違いです。
意識の緊張が無ければ応用が生まれません。想定していなかったことには全く対処できないことになります。非常持出袋も避難経路もあくまでも決めごとでしかなく、災害は人が決めた通りにやってこないことはれっきとした事実です。
用意したものや覚えた知恵が役立つのも意識の緊張があればこそであり、緩慢な意識の中では物や知識が絵に描いた餅となるかもしれません。


意識の緊張とはいつも怯え続けることではなく、危機の回避想定を時々脳内で実践するだけのことです。
どこに逃げようか、どれを持ち出そうか、停電時に優先的にやることは何か、それらのためには何が必要か、そんなことを考えるだけでも十分だと思います。その結果として避難経路マップなどが生まれてきた場合、それはその人の生きたグッズになりえるはずです。非常持出袋の中身も同じ。自分の場合は何が必要か、それが入っている非常持出袋は最高のグッズです。


いろいろな対策をしたりいろいろなことを考えたりしている人は、思う以上にたくさんいます。やっぱりいざというときに少しでも苦難を軽減し、まずは自己的減災の実現を望んでいるからです。
しかし、残念ながら日常の繰り返しや慣れによる意識の風化は誰にでも起こります。自分自身も含め、今一度意識の再起動を実施したいと思う次第。年に一度、311という日だけでも。
 
posted by ぁぃ♂ | 岩手 ☔ | Comment(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。