あの日から14年。
まさか裏の山の山林火災で家が無くなるとは思わないでしょう。
まさか突然道路が陥没してそこで命が無くなるとは思わないでしょう。
2011年3月11日14時46分、あの日はそのまさかの心構えもできていないところにやってきました。
天災は忘れた頃にやってくるという言葉は誰でも知っています。
しかし、忘れる対象の経験さえ持っていなく、平和100%の時代をそれまで生きてきた人も多くいました。
何十年に一度、何百年に一度なら、それも仕方のないことです。
大昔のすり減った石碑や傷だらけのモノクロの写真は、はるか遠い遠い昔話を語ります。
貴重な伝承も、皆がわかりにくければその時代の人には届きません。
ほんの14年前の2011年は、いわば誰もが情報弱者であったのかもしれません。
あの日から14年。
記録を録り、記録を広め、その記録を残す。今では誰でも容易にできることです。
人を助けようとしなくても、何気なく発信した情報が人を助けることがあります。
発信とは自身への戒めの意味も多分に含むものです。だから続けるべきことなのです。
昨年、トラフでアラート出た時も誰もハザードマップなんて見もしない。
津波なんて瀬戸内に来たことないよ、来たって内海だもの、想定内しか来ないよと。
沈下があれば津波だけの問題じゃないって能登で見たんじゃないの?と喚きたくなりますが、ほんとにだーれも気にしてない。
知ったところで無力だからならまだ諦めつくけれど、ほんとに平和ボケしすぎてて目眩がします。
訳わかんない会館とか作らんで、津波体験できるプールとか災害体験施設ふやせばいいのに、と切に思います。
想定できないものや実感できないものに時間やお金を使って備えることは、なかなか難しいことです。
そこをがんばるのが試練ですw