
まだ東京に住んでいた2001年1月23日、金八先生のロケで毎回使われる某所に行って撮影したものです。
住んでいたところからそんなに遠くないところでもあり、車でふらりと出かけました。
桜中学の生徒や金八先生の姿はありませんでしたが、今日は日曜日なのかもしれないなと納得できました。
テレビの中だけしか見ることのなかった風景を目の前にすると、テレビの中に入り込んだような不思議な錯覚に包まれました。
フィクションとノンフィクションが入り混じる季節というのは不思議なもので、有機質が無機質になり、無機質が有機質になってしまいます。
そんな季節も経験した東京での生活でした。
時が経てば、全ての事が思い出になり、全てのことがやり直せないことになります。
だからといって、きれいな思い出づくりのために明日を生きたくはなく、むしろ思い出は人生の絞りカスだというぐらいに思っていたほうが、いい明日を生きられるのだと思います。
現在過去未来の時間軸に翻弄される人間の大脳ですが、過去のために生きるのは何の意味も無く、未来を作るために今日があるのです。
思い込みというものは恐ろしいもので、できないと思えばできなく、わからないと思えばできてしまうものです。
結論と決め付けの違いを明確に分類できれば、人生の意味や社会のしくみなど、思ったより単純なものです。
そんなむずかしくてかんたんなことをしばし思いながら、年末ジャンボをまだ買っていないことに気づきました。
あしたは、ジャンボでも買ってきます。
未来のためにw
少年野球も河川敷球場だったし、虫捕りや魚釣り、段ボールすべり、秘密基地も多摩川でした。
当時は「あばれはっちゃく」の撮影をよく見かけましたね。
ちなみに「刑事犬カール」のエキストラ?で映ったこともあったりしました。
大人になってから、以前住んでいたところを訪れると、家の前の道路は記憶より狭く、小学校は近く感じたのですが、川はそのまんまの大きさに感じました。不思議です。
今では車や電車の窓越しからしか、あの青い看板を目にしませんが、近いうちに、確かめてこようと思います…
あの看板、意外にデカいんですよねw。
「辿り着くといつもそこには川が横たわっている。それはいつか幼い頃どこかで見たことのある川なのさ♪」
河原の草むらにはけっこう昆虫たちもいて、いい自然環境でした。
また、東京にいて広い空を見ることができるのも河原なので、好んで出かけてました。
自分もバイトで以前通ってた小学校に行ったとき、廊下の狭さと天井の低さに唖然としたことがあります。
川は同じでしたかー。なんとも不思議な感覚ですね。
年老いた母親でも自分にとっては母親には違いないのと似たような感覚なのでしょうか。
周りが変わったり自分が変わったり、生きていくこともけっこう面白いもんです。
追伸
木ノ内みどりさんによろしくw