2010年01月04日

「自己的見解」を追加

ここは「ぁぃの自分ブログ」なのですが、思えば自分自身のことをほとんど書いていなかったような気がします。
もともと生き物や飼育以外の記事を独立させたのがここのブログ。今年はタイトルに少しだけ忠実になってみようかなと思います。

ブログとはその筆者にとってどのようなものであるのか、それは筆者それぞれに違うと思います。自分的には自身をさらけだすのは少し怖いなとも思っていたので、その壁を超えることになります。

まあ、あれもこれもさらけ出すわけではなく、時々にふと思うことを書いていくだけなので、まさに本カテゴリーの趣旨はこんなかんじです。
『つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。』

新カテゴリー「自己的見解」のテーマは多岐にわたると思います。変わり者が書いたわがままと偏見に満ちた文章ということで、ひまつぶしに読んでいただけたら幸いな次第。
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2010年01月06日

見解-高温多湿に弱い自分

普段気付かないことでも、たまたま居合わせた人を見て自分を知ることがあります。というか、高温多湿に弱いことは知っていましたが、その度合いが尋常ではないことを過去に何度も教えられましたふらふら
例えば、夏に車(セダン)に乗っているときに「自然な風が好きひらめき」とか言って窓を開けられたりするのは、自分にとってはもってのほかなわけですバッド(下向き矢印)
除湿されたクールミントな空気の中にいればこそ気持がいいのですが、助手席の人からは決まって「寒いあせあせ(飛び散る汗)」と言われます。
これが助手席の人(ムード)が変わっても繰り返されると、自分が過剰なのだとわかります。
ホテルのシャワーから出た後にクーラーを全開にしてその風を全身に浴びる快感も、いつの間にか室温を20℃、19℃、18℃と下げ、背中のほうから「寒いあせあせ(飛び散る汗)」の声。

思えば札幌生活雪をしていたころも、寒いのですが不快ではありませんでした。体の芯まで冷え切る寒さはクールミントのようなさわやかさがあり、素敵な気候に感じましたるんるん
逆に東京生活のころはサウナのような湿度にあきれました。山手線に乗っても、Tシャツ1枚で汗だくになっている自分の横には、汗ひとつかいていないスーツ姿のサラリーマン。人種が違うのだなと理解することにしましたもうやだ〜(悲しい顔)

今の季節では暖房の設定温度はいつも20℃でちょうどいいのですが、他の人は寒いと言います。25℃ぐらいにしたいらしいのですが、そんな室温の中では自分は睡魔に勝てないでしょう眠い(睡眠)

まとめると、どうやら自分はかなりの高温多湿嫌いのようです。
昨年の夏は冷夏っぽかったのでおかげさまで過ごしやすかったのですが、野菜をはじめとする植物の生育状況や昆虫などの出現具合に変化が見られました。
異常な中では異常が出てくるようなので、自分も少しずつ高温多湿に慣れていかなければと思う次第。もし無理であれば択捉島にでも引っ越しますダッシュ(走り出すさま)
タグ:見解
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2010年01月09日

見解-未来型占いは興味無し

いわゆる占いの類は昔から信じていませんし、あてにもしていません。
仕事運とか恋愛運とか金運とかを勝手に予想され、ラッキーカラーなるものまで指定しており、あなたは私を産んだのかとつっこみたくなります。

何で占うかを見てみると、星座、血液型、誕生年、方角、色などあきれるほどいろいろあるようですが、人はロボットではないのでそのパターンは無限大なわけです。

誰も占いを100%信じているわけではないのはわかりますが、それにしても精神的占有率が高すぎるかなと思います。携帯でパケット料を払ってまで見るのは、その顕著な例です。

要は、自分自身を知らない人が書いた文章に微量でも左右されるその弱さは何なのか、そこが不思議なわけです。
弱い人は集って互いに慰めあい、それで自己満足してまやかしの世を生きるようですが、錯覚に包まれたむずがゆい感触を感じないのかと不思議に思います。

このような主張性の高い内容の文章にすぐ反論してくるのも、精神の真髄を自分以外の何者かに託しているような人が多いのも事実。自分は占いや宗教を決して取り入れませんが、否定もしません。なぜならば、人それぞれに思考や志向や指向や嗜好があるからです。
これを理解せずに「いいものはいい!」と過度な勧誘をする現象は、到底理解できないものです。車マニアが「車はおもしろいからやってみないか?」と誘っても、そもそも興味がなく、生活スタイルも人それぞれなわけで、やらないのはやらないと思います。

この世を穏やかに生きるためにはいろいろなポイントがありますが、その中のひとつに人と無意味な衝突を避けることがあると思います。
その方法のひとつとして、多様性を認めること、つまり「人それぞれ」を認知することが重要であると思います。
たとえ意見や思想が違っても、即座に別物を異常と判断するのはあまりにも短絡すぎます。人はそもそもアナログな生き物なわけです。
多様性を理解できるようになると、今年の運勢の文章など笑い飛ばすレベルになるでしょう。

しかしながら、「A型いて座」という個性だけはある程度の統一性を持った要素を含んでいると感じるのも事実。
そう感じるのも「多様性」のひとつであることは言うまでもありませんが。

いずれにせよ、占いで喜怒哀楽するような浮かれた時を歩む暇があったら、自身で道を拓いたほうがはるかに有意義であり、現実的であると思います。
そんなわけで、自分は未来を占うようなことには全く興味が無いわけです。
タグ:占い
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2010年01月13日

見解-焼き鳥の食べ方について

焼き鳥の食べ方というものはそもそも無いと思いますが、人によっていろいろのようです。
自分は基本的に串から抜かない派です。串の下半分のあたりは箸で串の先にずらして串から食べます。串に刺さっている肉を串から外すと、なんだか焼き鳥じゃないような気もしますし、あれは焼くために串に刺さっているのではなく、食べやすいように刺さっていると信じたいのであります。

最初に「基本的に」と書いたのは、TPOによっては串から外すこともあります。例えば、格式高い場での食事。まあ格式高いような場所で焼き鳥など出てこないとは思いますが、仮に披露宴のような所では串を外すと思います。
また、複数人数で焼き鳥盛り合わせを頼んだ場合、串単位で平等にならない場合は外すと思います。気の知れた仲なら細かいことを言うなということで外しませんが、そうでない場合はやはり外しておいたほうがいいかもしれません。
タレが口の周りにつく可能性があったり一口では無理そうな大きさであれば、外す人の気持ちはわかります。でも、ついたら拭けばいいと思いますし、どんだけ小さい口なんだよとも思ったりします。串に刺さったミートボールに歯型をつけているほうが、よっぽど下品なような気がします。

先日、男の同級生と二人で居酒屋に飲みに行ったときに焼き鳥盛り合わせを頼みました。
一人に一皿の形で頼んだのですが、同級生が自分の皿の中でご丁寧に串から1個ずつ外しているのを見て、なにやってんだと思いました。安い居酒屋で気の知れた同級生の男と二人っきりで、個別の皿の中で格闘している友人の不思議な光景でしたw
つか、あの時は酔って説教ばかりしてすんません(^^ゞ

やはり、焼き鳥は串から食べるからおいしいのだー!と声を大にして言いたいのであります。…基本的にですけど。
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2010年01月16日

見解-免許更新制について

2種類の免許の更新について、ちょっと書きたいと思います。
ひとつ目は、教員免許。
教員免許更新制が22年度で廃止になるようですが、どの資格でも定期的な更新は必要ではないかと思います。
資格である以上一定の力を維持する必要があるわけで、それを定期的に確認することは別に騒ぎ立てて廃止にするようなことではないと思います。

自動車の免許にも更新があるではないかという論法に入りますが、自動車免許の更新の現状は、まだまだ不足であると思います。
すっかり高齢化社会になった今、枯れ葉マーク 高齢運転者標識をつけて走っている車も多くなりました。
最近よくニュースで聞くのは、アクセルとブレーキを間違った事故。しかも二つのペダルが近いから悪いとか理解できないことを言う人もいます。
相反するGOとSTOPを間違う理由は心と体の両方にあると思いますが、一定のドライビングポジションをとっていれば、アクセルとブレーキは常に同じ位置にあるはずです。そのポジションをとれないのであれば、その時点で免許を持つレベルではないのかもしれません。また、うっかりとかの次元は論外です。
車は、ものすごい力を出せる機械です。人の命さえ奪うこともできます。砂糖と塩を間違うのとは違うのですから、このテの事故にはあきれます。

曲がる直前になってようやく方向指示器を出す車、内輪差を考えずに対向車線にはみ出してくる車、トンネルでライトを点けない車、直進優先を知らない車、路上には危険なドライバーがあふれています。
こっちがいくら安全運転をしていても、もらい事故なるものが発生します。事故処理で10:0など無いに等しいわけで、勘弁していただきたいと思います。

そんなわけで、このような危険なドライバーを生み出さないためにも、自動車免許更新には実技項目も必要ではないかと強く思う次第。どんなに上手なドライバーでも、いつかは慣れや老化が生じます。道路交通法に即した運転をできるかどうか、その確認をする制度が無い以上、路上にはこれからも危険なドライバーが増殖するでしょう。
これは教員免許よりもはるかに重要で身近な更新制度だと思います。

地方は都会ほど交通機関が多くなく、年をとっても生活のために自分で運転する老人がかなりいます。しかし、日本の道路を走る以上、道路交通法を満たす運転をしなければなりません。それができないなら、免許の失効も当然だと思います。免許証は許可証であり、商店街のポイントカードとは違うのです。
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