2018年03月11日

あの日から7年、共有という機会

あの日から7年。今年小学校に入学する新入生は、あの日以降に生まれた児童です。

自分は関東大震災を知らない人であり、戦争を知らない子供たちであるわけですが、この世代現象が東日本大震災にも当てはまる時がすでに訪れています。

災害や人災を経験した人の話を何度聞いても、リアルに感じることができない未経験の人たち。多くの人がそうであるように、自分もまたその一人です。

この時代は誰でも録画機能を持つスマホを持ち、即座に動画投稿サイトに投稿し、それを世界中で共有できる時代です。
動画投稿サイトの中では膨大な記録映像を見ることができ、その量は昭和以前の震災や人災の記録量とは比べ物になりません。

正確な状況を焼きこんだ絵、感情までも織り込まれた音。もしかしたら、どうしても超えられなかった「未経験」という未知の現象は、たくさんの記録映像に触れることによって、解消できるのかもしれません。
知らないという事象は情報が無いのではなく、あふれかえる情報の中から必要な情報を探し出せなかっただけなのかもしれません。

代々伝わる経験者の話、長く残る無言の石碑、そして、確実に残していかなければならない記録映像。
共有とは、共に怖がり、共に学ぶ機会です。これからも正しく共有されていくのであれば、今年入学する児童も戦争を知らない子供たちでなくなるのかもしれません。

あの日から7年、文明の進化をしっかりと咀嚼していけば、人類は自らが進化させた文明に追いつきながら生きていけるのかもしれません。
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2017年03月11日

あの日から6年、意識の微分化


北国では3月はまだまだ冬です。蛇口から注がれる冷たい水で手を洗うと、骨まで冷えて次第に感覚が無くなって思うように動かせなくなります。

突然押し寄せてきた蛇口の水よりも冷たい海の水で体の自由を失って命を奪われた人。それでもなんとか助かった人。どちらにしても、どんなに冷たかったんだろうとこの時期になると毎年思います。
瓦礫とともに押し寄せた濁流。その濁流は、生きる者の自由を奪いました。
気が狂うほどの冷たさは、肉体と精神の希望を奪いました。

忘却や慣れは重力のように常に作用し続けるので、これからも同じように作用し続けるでしょう。避難方法や非常持出袋などの備えについて再確認するだけでは、その作用から逃れることはできません。
数は足りているか、もっと別の方法は無いか、社会の成熟から新しいものが生まれていないか、備えという行為そのものに常に改革や改新を施し、この行動自体を生き物のように扱っていかなければならないのだと思います。

常備品や非常持出袋の中身を昨年大きく変えました。準備開始当時の「万全」の多くが現代の「机上の空論」になリ始めていたことを感じていたからです。机上の空論を定期的に再確認しても意味が無く、改革や改新で現代の息を吹き込む行為が必要だと思います。生き物は生きているので呼吸が必要だということです。

あの日から6年。習慣やイベントのように振り返るのではなく、日常的に自分で自分の背中を押す労力が必要な時期に入りつつあるのかもしれません。
背中を押してみて過去の影と今の実体との差を見つめ、影の輪郭が違えば意識を見直し、影の濃さが違えば頭上の雲を取り除かなければなりません。
差分を意識して変化に敏感になる、この姿勢を懸命に維持していくことが、未来への備えにつながるのだと思います。

停電で真っ暗になった夜の風景には、輪郭というものがありませんでした。頭上には小麦粉を振り撒いたような星屑があり、その中に細くて暗い冬の天の川が弧を描いていました。一生忘れられない風景です。
 
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2016年04月17日

平成28年熊本地震

ここ岩手県からは遠い九州の熊本で、大地震が発生しました。
立て続けに起こる余震でパソコンの地震モニターの警報音は1時間以上も鳴りやまず、モニター上では常に揺れているような表示が続きました。

モニターの表示を見ていて感じたことは、あの東日本大震災のときの表示と同じ規模であったことです。
特に4月16日1時25分に発生した本震とも呼ばれる揺れは、モニター上でも恐ろしさを感じます。

その時のモニターの表示はここ

モニター上では、熊本市あたりで最初の揺れから1分もしないうちに赤い点が2度3度と点灯し、次々と新しい揺れが発生しているようにも見えます。
その後も強い余震が立て続けに発生し、その頻度と揺れの強さは東日本大震災の余震の規模を上回るものでした。

テレビのCMは一時的に無くなり、復活したかと思ったらACのCMだらけでした。
東日本大震災の時よりはACのCMの種類が増えているようにも思えましたが、東日本大震災の時がそうであったように、流れているACのCMは被災者にとって深く記憶に刻まれるものとなるかもしれません。

実際、東日本大震災から5年以上経った今でも、当時流れていたACのCMを見ると周囲の空気が一気に重くなります。
あのとき流れていたアドレナリンの勢いを体は覚えており、本能的な危機感のようなものが鮮明に蘇ります。

東日本大震災のときは、たくさんの人たちからたくさんの義援金が送られました。自分は直接的な被災者ではないので直接助けられたわけではないのですが、周囲の人や環境の復興に役立てられたことは間違いのない事実です。

今、被災地ではたくさんの人たちが困っています。いろいろなところで義援金の受け付けも始まったようです。
岩手県人として、少しですが日本赤十字社を通して応援させていただきました。
まだまだ新しい災いが起こりかねない状況ですが、心を強く持ち、今を確実に生きてください。
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2016年03月11日

あの日から5年、主観と客観

仮にあの大地震が起きなかった場合、今の時代はどうなっていたのかを想像しても、
なぜか何も想像できません。
きっと、あの大地震の後に無意識に何かをリセットしたからなのかもしれません。

社会の歴史の中に、人々の記憶の中に、それは間違いなく認知されつつ刻まれました。
事実の上を歩んでいく時、足を踏み出すごとにそれはいつも足の下にあります。

記憶や体験は、時が経つとともにいろいろな意味で風化されていきます。
しかし、大切な人を失った人にとっては、5年経っても10年経ってもそれは昨日の出来事であり、
あの日より前の時代と何ら変わらない声や匂いやぬくもりが今でもすぐそこにあるのだと思います。

"安らぎ"と"憎しみ"という相反するものを、視野の両端に押し込めながら前を見て歩む日々。
そのどちらを見てもつらくなるので、前を見るしかないという人も少なくないと思います。

そのような人たちに、先日出会う機会がありました。
「気を抜けば見たくないものを見てしまうから前を見ているだけだ」
時の節目を刻むことのできないまま、今日もたくさんの人たちがそれぞれの日々を暮らしています。


あの日から5年。街や人を舞台に押し上げて客席から眺めることは容易です。
しかし、舞台に上がってその場に立ってみなければわからないことも多いはずです。
笑顔で話す被災者の手は震えているかもしれませんし、視線の移動は完結できない心情に触れた
せいかもしれません。
押すでも引くでもなく、同じ高さで横で話を聞いてあげることも大切なことだと思う次第。
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2015年03月11日

あの日から4年、意識の再起動


あの日から4年。あの東日本大震災は4年前の出来事になりました。
非常持出袋の用意、ベルトに固定しているラジオ、時折見るYoutubeの動画、記憶の風化を少しでも抑えようと今でも行っています。
これらは何のためにやっていることなのか、それは次の災害が起こった時のためです。あれほどの大災害はもう起こらないだろう、そんなことは誰にもわかりません。あの日から1年2年3年と数えることは、同時に次の災害まであと2年1年と数えていることかもしれません。
災害の中身も311とは違うかもしれません。震源地が近ければ揺れによる物理的な被害が最大になるかもしれませんし、押し寄せてくるのが炎かもしれません。
第一次災害と同時に第二次災害からも身を守らなければならない、そのための準備として何ができるのか、それに対処しようとする危機感だけは風化させてはならないと思います。


あの日、車の中のテレビで『200人から300人にのぼる遺体が発見されました』と読み上げるアナウンサーの声を聞き、生まれて初めて"言葉を無くす"ことを体験しました。死者の数が100人単位の誤差で語られたのです。今振り返っても不思議とその数字の感覚がよくわかりません。恐らく、現場で実状を見ないと理解できないのかもしれません。
そのようなことが確かに現実に起こったのです。こんなことはもうないだろうと思いこむことは明らかに不自然なことであり、それは間違いです。
なぜならば、生きている星はその活動性質上無法地帯だからです。地震、噴火、大雨、疾病、様々な事象に人間はまだ対処しきれません。その差分領域は死者や負傷者で埋められていくのが現実です。
個人の知恵が集まって化学変化したものが社会の知恵であるならば、個々は知恵の産出を止めてはいけないと思う次第。個の知恵は少なくても個の役に立ちます。そして、それを交わすことにより社会の知恵となります。


マニュアルを定説化したような危機管理の絵を描ききったがごとき情景を時々見ることがありますが、その安堵感で意識の緊張度が下がらないようにすることも危機管理のひとつだと思います。
非常持出袋も用意した、町内の避難経路も確かめた、火の起こし方も覚えた、もう寝ていても助かる、これは間違いです。
意識の緊張が無ければ応用が生まれません。想定していなかったことには全く対処できないことになります。非常持出袋も避難経路もあくまでも決めごとでしかなく、災害は人が決めた通りにやってこないことはれっきとした事実です。
用意したものや覚えた知恵が役立つのも意識の緊張があればこそであり、緩慢な意識の中では物や知識が絵に描いた餅となるかもしれません。


意識の緊張とはいつも怯え続けることではなく、危機の回避想定を時々脳内で実践するだけのことです。
どこに逃げようか、どれを持ち出そうか、停電時に優先的にやることは何か、それらのためには何が必要か、そんなことを考えるだけでも十分だと思います。その結果として避難経路マップなどが生まれてきた場合、それはその人の生きたグッズになりえるはずです。非常持出袋の中身も同じ。自分の場合は何が必要か、それが入っている非常持出袋は最高のグッズです。


いろいろな対策をしたりいろいろなことを考えたりしている人は、思う以上にたくさんいます。やっぱりいざというときに少しでも苦難を軽減し、まずは自己的減災の実現を望んでいるからです。
しかし、残念ながら日常の繰り返しや慣れによる意識の風化は誰にでも起こります。自分自身も含め、今一度意識の再起動を実施したいと思う次第。年に一度、311という日だけでも。
 
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2014年03月11日

あの日から3年、記憶の融合

あの日から3年、Youtubeなどで時々動画を見ることも、ベルトに携帯ラジオをつけておくことも続いています。
何点かの動画はDVDに焼いて保存し、この先も確実に見ることができるようにしました。

2年目と3年目で確実に違うことは、風化の進みを感じることです。
「日常」が1日1日と重なって、「平和」が「日常」の代名詞になってきています。
記憶は過去へ過去へと押し戻され、今日や明日のことだけを考えるような平和が日常の中にあります。

新しいものや出来事を素直に受け入れることは、過去を風化させることではありません。
脳の記憶量にたとえ限度があったとしても、新しいものは受け入れていかなければ人は生きていけないからです。

ただしこれは物理量の話であって、人は記憶を化学変化させて今日と融合させることができます。
結合させるのではなく、混合させる。混合させることによって、そこから新しいものが生まれてくる。その新しいものもまた、今日と言えるはずです。

進化は文明だけの言葉ではなく、人の思考にも当てはめることができる言葉です。
過去を今日と融合させ、新しい明日を生きていく。その差分がさらにその次への活力になるのかもしれません。

正しいと言えることは、決してひとつではありません。明日の正しさは今日の正しさと違うかもしれません。
定まらないのが人という生き物であるならば、記憶の化学変化で新しい明日を見つけることができるのも、人という生き物なのだと思います。
弱くもあるが強くもある。もろくもあるがしぶとくもある。人はみんなそういうものだと思います。
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