2024年03月11日

あの日から13年、備える意味

あの日から13年。
大きな災害は休む間もなく訪れ、そのたびに備えの大切さを思う。
行政が何とかやってくれるんだから、自衛隊が来てくれるんだから、
いまだに人まかせな脳内花畑の人に時々で会う。

行政は何とかやってくれる、いつかは。自衛隊も来てくれる、いつかはね。
備えはそれまで持ちこたえる元気の源です。
気力の衰えは体を壊します。備えは気力を衰えないようにするものです。

どんなに備えても一瞬でつぶされちゃ元も子もないよ。
日々の生活が忙しくて保存食なんて考えてるひまないよ。
備えない理由はいくらでもあり、人はそれを言い訳にします。

平時はいくらでも強がることができます。しかし、非常時はそれができません。
すべてがマイナスのベクトルに向かい、人は不安におびえます。
そのマイナスのベクトル量を減らすひとつのツールが備えです。

今年もまた賞味期限が切れそうな非常食を食べることになっても、
いつかはその非常食を避難所で食べることになるかもしれません。
静まり返った真っ暗な道の片隅で震えながら食べることになるかもしれません。

常に最悪の状況を想像することです。助けは当分来ないと思うことです。
そんな中でも冷静さを保ち、正確な判断をしなければなりません。
そのためには脳に栄養を送らなければならないのです。目の前の灯りが必要なのです。

あの日から13年。
今一度、想像の中で怖い思いをしましょう。絶望のどん底に落ちてみましょう。
そうすれば備えの大切さを少しだけ感じることができるかもしれません。
大災害は他人ごとではなく、明日に目の前で起こるかもしれないのです。
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2023年03月11日

あの日から12年、意識の嵩上げ

あの日から12年。
時が経つと高くそびえたつ山々も、やがては雨に削られて平地になります。
穏やかな日常の中で、意識というものも残念ながら少しずつ削られていくものです。

人間はろくでもない生き物ですが、時々すばらしい功績を遺すことがあります。いつでも無料で誰かが撮った動画を見ることができる動画サイトです。多くの人がカメラを持ち、多くの人がスマホを持ち、目の前のありさまを克明に記録して公開しています。

大災害のありさまもまた克明に記録されています。家が大きく揺れる様子、部屋の中がめちゃめちゃになる様子、住み慣れた街が波に埋もれていく様子、家や車が枯葉のように流されていく様子、バキバキと壊されていく音や人々の悲鳴までも残されています。

災害の記憶は時が過ぎるとともにどうしても薄れていきますが、記録はそれを呼び戻してくれます。嫌な記憶は忘れてしまえば楽になりますが、たとえ嫌な記憶でもそれを教訓としなければならない場合は、記憶を呼び戻すための記録は必要です。

昔はカメラは高級品であり、日常的に撮影できる人は街の写真屋さんぐらいでした。スマホや携帯電話も無く、ましてやインターネットもありませんでした。そのような時代では記録が少なく、石碑のようなものや言い伝えで記憶を留めようとしていました。それでもそれには限度がありました。

今の時代は昔と比べると大違いです。やろうと思えば容易に記憶を呼び戻すことができます。生活環境や物資や意識に教訓を生かすことができます。備えることができるのです。

嫌な思いもするでしょうしお金もたくさん使うでしょうが、昔の人はそれさえもできずに繰り返し襲ってくる大災害の犠牲になっていきました。自分が昔の人だったら、今の時代がとてつもなくうらやましく思います。

様々な情報があふれかえる時代の中で生きることには息苦しくなる時もありますが、その中には貴重な情報もたくさんあります。それらを冷静に見つめて賢く選び出すことは、今の時代ではとても重要なことです。選び出せなかった情報は「無」です。この世に存在しない情報と同じです。だからこそ、存在しなければならない情報は確実に選び出していかなければなりません。

あの日から12年。
たくさんの人たちが残してくれた貴重な記録を糧とし、これからもすり減る意識の嵩上げをしていかなければなりません。
危機は常に目の前にあります。時が意識を削っていくならば、その進行を超える意識で修復していくことが危機管理だと思います。
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2022年03月11日

毎年この日が来ると

あの時の今はあれをしてた
あの時の今はあれをしてた
時計の針を見ながらあの時の行動を思い出す

崩れたものをかたずけていたのは最初だけ
水が出なくなると思ってあるだけの容器を出して水を貯めた

準備した容器に水を貯め終わったころ
水の圧が下がってきてとうとう水が出なくなった

次第に薄暗くなってきたけど不思議と寒くはなかった
停電の中でこれから暗闇の夜が始まることに気がついた

あの時の今はあれをしてた
あの時の今はあれをしてた
毎年この日が来ると
時計の針を見ながらあの時の行動を追いかける

そういえばあの日も金曜日だったな
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あの日から11年、ずっと臆病でいたい

あの日から11年。
今日まで何かに備えたり知識を学んだりしてきたことは、それぞれを克服するためではなく、もっと大きいもの、恐怖心のようなものに打ち勝つためだったような気がします。例えば、電気が来なければランタンだったり、水が止まれば備蓄水だったり、そういうものではなく、もっと自分自身の問題だとか心の強さだとか、そういうものを育てるための土台作りをしてきたのかもしれないなと感じます。

東日本大震災があったから・・・というきっかけはその通りなのですが、次の東日本大震災に備えるというよりも次に来る大災害に備えている感覚があります。備えた物資や身につけた知識の上で、自分はどれだけ冷静に判断し着実に行動できるんだろう、その自問自答を繰り返す中での東日本大震災自体は以前より小さくなってきています。備える気持ちは大きくなっていますが、それは東日本大震災ではなく次の大災害なのです。

どういう形でやってくるのかわかりませんが、その " 大災害 " の時にしっかりと自分自身を保てるよう、これからも気持ちを緩めずに臆病でいたいと思います。打ち勝つのではなく、守るため。自分というひとりの人間の中での防災です。自分を守れて初めて他人を守れるのかもしれません。ノウハウとか手段とかの話ではなく、気持ちの問題です。

あの日から11年。
まだ生きているうちに必ずやってくるであろう次の大災害。これからも臆病でいたいと思うわけです。
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2021年03月11日

あの日から10年、震災は終わらない

あの日から10年。
震災発生から今までのことを思う時、震災前の時代がいかに穏やかな日々の連続だったかということに妙な驚きを感じます。あの日を境に社会や世間や生き方を変えた天変地異は、10年経っても辛く悲しく重い記憶です。

応急の仮設住宅にいまだに住んでいる人もいます。建材の耐用年数を超えたプレハブ住宅では、雨漏りやカビの発生に苦しむ住人が今日も暮らしています。この人たちにとっては、震災は10年経っても令和という時代の中で現在進行中です。

ネットの中にはたくさんの震災関連の動画が存在します。あまりの生々しさゆえに、見ると鼓動が速くなるようなものもたくさんあります。
過去との距離が遠くなればなるほど悲しみや恐怖の感覚が薄れていきますが、時々とは言わなくてもせめて年に1度ぐらいは見たくない動画も見て恐怖の感覚を取り戻すことは重要だと思います。
恐怖は次の教訓になります。悲しみは次の支えになります。あの日起こった紛れもない事実をしっかりと受け止める強さは、人間の進化の上で必要なものです。

そしてまた、新たな天変地異が起こりました。今までの時代がいかに穏やかな日々の連続だったかということに驚きます。この感覚は震災以来です。
手洗い、消毒、マスク。人との距離を開け、人と接しないことが感染予防となる。端的に言うと、人と簡単に会えなくなりました。
人は人と接し、話し、笑い合って生きていくものです。それをここまで強く制限されることは人生初めての経験です。
まさに文字通り、生活様式を変えなければならないほどの天変地異が、今日も継続中です。

震災の人的被害の話になりますが、まだ発見されていない行方不明者の数は2500人以上です。このひとりひとりに家族がいます。その家族は遺骨が戻らないまま10年が過ぎました。仮に自分に同じことが起こった場合、これはたまらないです。
自分の場合は罹災といっても電気や水道などのライフラインが数日停止した程度でしたが、家が流されたとか行方不明でいまだに戻らないとかそういう人たちがたくさんいることを思う時、10年経っても大きな悲しみが襲ってきます。
人の悲しみがこんなにも悲しいのに、もしそれが自分自身に起こった場合に自分は耐えられるのだろうか。そう思ったとき、それを1%でも回避できる方法が準備や心得であり、非常持出袋だと思っています。

あの日から10年。
これから先も様々な天変地異が起こると思います。しかし、それに対しての備えはいつでも誰でもできることです。その備えが、いざという時の心の支えになり、生活の糧になります。
自然災害の多い日本に住んでいく以上、その国に住む住人は危機に対してある程度の自立が必要だと思います。国や他人を頼りにして自分が何もしないことは、同居人にとってはもはや卑怯です。みんなが自立し、その上でみんなで助け合うような強い国民になっていけばいいなと思います。
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2021年03月10日

忘れない

忘れない
それまでの感覚で負傷者を語る桁の数字が死者の数であることを知った時のショックを

忘れない
その死者の数字が『200人から300人』という100人もの誤差を含むほどの混乱状況を

忘れない
車載テレビで初めて見た震災の映像がたくさんの車が流されている映像だったことを

忘れない
停電の夜に小麦粉を振りまいたように無数の星が浮かんでいた真っ黒な夜空を

忘れない
やむことの無かった震度4クラスの余震に慣れてしまった不思議な感覚を

忘れない
停電が回復した朝に1階の洗濯機が回る音で目覚めた安堵の朝を

忘れない
昼はギラついた目をしていたのに夜ベッドに入ると瞬時に眠りについた不思議さを

忘れない
前日にたまたまポリタンク2つ分の灯油を買っていてそれが丸々残ってた安堵感を

忘れない
停電になった暗い部屋の中で石油ストーブの赤く光る筒の温もりを

忘れない
家が流され家族を失い明日への希望など微塵も無くなった被災者の表情を

忘れない
明日であの日から10年になるけどあの日体験した記憶はひとつたりとも忘れることは決してない
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2018年03月11日

あの日から7年、共有という機会

あの日から7年。今年小学校に入学する新入生は、あの日以降に生まれた児童です。

自分は関東大震災を知らない人であり、戦争を知らない子供たちであるわけですが、この世代現象が東日本大震災にも当てはまる時がすでに訪れています。

災害や人災を経験した人の話を何度聞いても、リアルに感じることができない未経験の人たち。多くの人がそうであるように、自分もまたその一人です。

この時代は誰でも録画機能を持つスマホを持ち、即座に動画投稿サイトに投稿し、それを世界中で共有できる時代です。
動画投稿サイトの中では膨大な記録映像を見ることができ、その量は昭和以前の震災や人災の記録量とは比べ物になりません。

正確な状況を焼きこんだ絵、感情までも織り込まれた音。もしかしたら、どうしても超えられなかった「未経験」という未知の現象は、たくさんの記録映像に触れることによって、解消できるのかもしれません。
知らないという事象は情報が無いのではなく、あふれかえる情報の中から必要な情報を探し出せなかっただけなのかもしれません。

代々伝わる経験者の話、長く残る無言の石碑、そして、確実に残していかなければならない記録映像。
共有とは、共に怖がり、共に学ぶ機会です。これからも正しく共有されていくのであれば、今年入学する児童も戦争を知らない子供たちでなくなるのかもしれません。

あの日から7年、文明の進化をしっかりと咀嚼していけば、人類は自らが進化させた文明に追いつきながら生きていけるのかもしれません。
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2017年03月11日

あの日から6年、意識の微分化


北国では3月はまだまだ冬です。蛇口から注がれる冷たい水で手を洗うと、骨まで冷えて次第に感覚が無くなって思うように動かせなくなります。

突然押し寄せてきた蛇口の水よりも冷たい海の水で体の自由を失って命を奪われた人。それでもなんとか助かった人。どちらにしても、どんなに冷たかったんだろうとこの時期になると毎年思います。
瓦礫とともに押し寄せた濁流。その濁流は、生きる者の自由を奪いました。
気が狂うほどの冷たさは、肉体と精神の希望を奪いました。

忘却や慣れは重力のように常に作用し続けるので、これからも同じように作用し続けるでしょう。避難方法や非常持出袋などの備えについて再確認するだけでは、その作用から逃れることはできません。
数は足りているか、もっと別の方法は無いか、社会の成熟から新しいものが生まれていないか、備えという行為そのものに常に改革や改新を施し、この行動自体を生き物のように扱っていかなければならないのだと思います。

常備品や非常持出袋の中身を昨年大きく変えました。準備開始当時の「万全」の多くが現代の「机上の空論」になリ始めていたことを感じていたからです。机上の空論を定期的に再確認しても意味が無く、改革や改新で現代の息を吹き込む行為が必要だと思います。生き物は生きているので呼吸が必要だということです。

あの日から6年。習慣やイベントのように振り返るのではなく、日常的に自分で自分の背中を押す労力が必要な時期に入りつつあるのかもしれません。
背中を押してみて過去の影と今の実体との差を見つめ、影の輪郭が違えば意識を見直し、影の濃さが違えば頭上の雲を取り除かなければなりません。
差分を意識して変化に敏感になる、この姿勢を懸命に維持していくことが、未来への備えにつながるのだと思います。

停電で真っ暗になった夜の風景には、輪郭というものがありませんでした。頭上には小麦粉を振り撒いたような星屑があり、その中に細くて暗い冬の天の川が弧を描いていました。一生忘れられない風景です。
 
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2016年04月17日

平成28年熊本地震

ここ岩手県からは遠い九州の熊本で、大地震が発生しました。
立て続けに起こる余震でパソコンの地震モニターの警報音は1時間以上も鳴りやまず、モニター上では常に揺れているような表示が続きました。

モニターの表示を見ていて感じたことは、あの東日本大震災のときの表示と同じ規模であったことです。
特に4月16日1時25分に発生した本震とも呼ばれる揺れは、モニター上でも恐ろしさを感じます。

その時のモニターの表示はここ

モニター上では、熊本市あたりで最初の揺れから1分もしないうちに赤い点が2度3度と点灯し、次々と新しい揺れが発生しているようにも見えます。
その後も強い余震が立て続けに発生し、その頻度と揺れの強さは東日本大震災の余震の規模を上回るものでした。

テレビのCMは一時的に無くなり、復活したかと思ったらACのCMだらけでした。
東日本大震災の時よりはACのCMの種類が増えているようにも思えましたが、東日本大震災の時がそうであったように、流れているACのCMは被災者にとって深く記憶に刻まれるものとなるかもしれません。

実際、東日本大震災から5年以上経った今でも、当時流れていたACのCMを見ると周囲の空気が一気に重くなります。
あのとき流れていたアドレナリンの勢いを体は覚えており、本能的な危機感のようなものが鮮明に蘇ります。

東日本大震災のときは、たくさんの人たちからたくさんの義援金が送られました。自分は直接的な被災者ではないので直接助けられたわけではないのですが、周囲の人や環境の復興に役立てられたことは間違いのない事実です。

今、被災地ではたくさんの人たちが困っています。いろいろなところで義援金の受け付けも始まったようです。
岩手県人として、少しですが日本赤十字社を通して応援させていただきました。
まだまだ新しい災いが起こりかねない状況ですが、心を強く持ち、今を確実に生きてください。
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2016年03月11日

あの日から5年、主観と客観

仮にあの大地震が起きなかった場合、今の時代はどうなっていたのかを想像しても、
なぜか何も想像できません。
きっと、あの大地震の後に無意識に何かをリセットしたからなのかもしれません。

社会の歴史の中に、人々の記憶の中に、それは間違いなく認知されつつ刻まれました。
事実の上を歩んでいく時、足を踏み出すごとにそれはいつも足の下にあります。

記憶や体験は、時が経つとともにいろいろな意味で風化されていきます。
しかし、大切な人を失った人にとっては、5年経っても10年経ってもそれは昨日の出来事であり、
あの日より前の時代と何ら変わらない声や匂いやぬくもりが今でもすぐそこにあるのだと思います。

"安らぎ"と"憎しみ"という相反するものを、視野の両端に押し込めながら前を見て歩む日々。
そのどちらを見てもつらくなるので、前を見るしかないという人も少なくないと思います。

そのような人たちに、先日出会う機会がありました。
「気を抜けば見たくないものを見てしまうから前を見ているだけだ」
時の節目を刻むことのできないまま、今日もたくさんの人たちがそれぞれの日々を暮らしています。


あの日から5年。街や人を舞台に押し上げて客席から眺めることは容易です。
しかし、舞台に上がってその場に立ってみなければわからないことも多いはずです。
笑顔で話す被災者の手は震えているかもしれませんし、視線の移動は完結できない心情に触れた
せいかもしれません。
押すでも引くでもなく、同じ高さで横で話を聞いてあげることも大切なことだと思う次第。
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