2022年03月11日

毎年この日が来ると

あの時の今はあれをしてた
あの時の今はあれをしてた
時計の針を見ながらあの時の行動を思い出す

崩れたものをかたずけていたのは最初だけ
水が出なくなると思ってあるだけの容器を出して水を貯めた

準備した容器に水を貯め終わったころ
水の圧が下がってきてとうとう水が出なくなった

次第に薄暗くなってきたけど不思議と寒くはなかった
停電の中でこれから暗闇の夜が始まることに気がついた

あの時の今はあれをしてた
あの時の今はあれをしてた
毎年この日が来ると
時計の針を見ながらあの時の行動を追いかける

そういえばあの日も金曜日だったな
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あの日から11年。ずっと臆病でいたい

あの日から11年。
今日まで何かに備えたり知識を学んだりしてきたことは、それぞれを克服するためではなく、もっと大きいもの、恐怖心のようなものに打ち勝つためだったような気がします。例えば、電気が来なければランタンだったり、水が止まれば備蓄水だったり、そういうものではなく、もっと自分自身の問題だとか心の強さだとか、そういうものを育てるための土台作りをしてきたのかもしれないなと感じます。

東日本大震災があったから・・・というきっかけはその通りなのですが、次の東日本大震災に備えるというよりも次に来る大災害に備えている感覚があります。備えた物資や身につけた知識の上で、自分はどれだけ冷静に判断し着実に行動できるんだろう、その自問自答を繰り返す中での東日本大震災自体は以前より小さくなってきています。備える気持ちは大きくなっていますが、それは東日本大震災ではなく次の大災害なのです。

どういう形でやってくるのかわかりませんが、その " 大災害 " の時にしっかりと自分自身を保てるよう、これからも気持ちを緩めずに臆病でいたいと思います。打ち勝つのではなく、守るため。自分というひとりの人間の中での防災です。自分を守れて初めて他人を守れるのかもしれません。ノウハウとか手段とかの話ではなく、気持ちの問題です。

あの日から11年。
まだ生きているうちに必ずやってくるであろう次の大災害。これからも臆病でいたいと思うわけです。
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2021年03月11日

あの日から10年、震災は終わらない

あの日から10年。
震災発生から今までのことを思う時、震災前の時代がいかに穏やかな日々の連続だったかということに妙な驚きを感じます。あの日を境に社会や世間や生き方を変えた天変地異は、10年経っても辛く悲しく重い記憶です。

応急の仮設住宅にいまだに住んでいる人もいます。建材の耐用年数を超えたプレハブ住宅では、雨漏りやカビの発生に苦しむ住人が今日も暮らしています。この人たちにとっては、震災は10年経っても令和という時代の中で現在進行中です。

ネットの中にはたくさんの震災関連の動画が存在します。あまりの生々しさゆえに、見ると鼓動が速くなるようなものもたくさんあります。
過去との距離が遠くなればなるほど悲しみや恐怖の感覚が薄れていきますが、時々とは言わなくてもせめて年に1度ぐらいは見たくない動画も見て恐怖の感覚を取り戻すことは重要だと思います。
恐怖は次の教訓になります。悲しみは次の支えになります。あの日起こった紛れもない事実をしっかりと受け止める強さは、人間の進化の上で必要なものです。

そしてまた、新たな天変地異が起こりました。今までの時代がいかに穏やかな日々の連続だったかということに驚きます。この感覚は震災以来です。
手洗い、消毒、マスク。人との距離を開け、人と接しないことが感染予防となる。端的に言うと、人と簡単に会えなくなりました。
人は人と接し、話し、笑い合って生きていくものです。それをここまで強く制限されることは人生初めての経験です。
まさに文字通り、生活様式を変えなければならないほどの天変地異が、今日も継続中です。

震災の人的被害の話になりますが、まだ発見されていない行方不明者の数は2500人以上です。このひとりひとりに家族がいます。その家族は遺骨が戻らないまま10年が過ぎました。仮に自分に同じことが起こった場合、これはたまらないです。
自分の場合は罹災といっても電気や水道などのライフラインが数日停止した程度でしたが、家が流されたとか行方不明でいまだに戻らないとかそういう人たちがたくさんいることを思う時、10年経っても大きな悲しみが襲ってきます。
人の悲しみがこんなにも悲しいのに、もしそれが自分自身に起こった場合に自分は耐えられるのだろうか。そう思ったとき、それを1%でも回避できる方法が準備や心得であり、非常持出袋だと思っています。

あの日から10年。
これから先も様々な天変地異が起こると思います。しかし、それに対しての備えはいつでも誰でもできることです。その備えが、いざという時の心の支えになり、生活の糧になります。
自然災害の多い日本に住んでいく以上、その国に住む住人は危機に対してある程度の自立が必要だと思います。国や他人を頼りにして自分が何もしないことは、同居人にとってはもはや卑怯です。みんなが自立し、その上でみんなで助け合うような強い国民になっていけばいいなと思います。
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2021年03月10日

忘れない

忘れない
それまでの感覚で負傷者を語る桁の数字が死者の数であることを知った時のショックを

忘れない
その死者の数字が『200人から300人』という100人もの誤差を含むほどの混乱状況を

忘れない
車載テレビで初めて見た震災の映像がたくさんの車が流されている映像だったことを

忘れない
停電の夜に小麦粉を振りまいたように無数の星が浮かんでいた真っ黒な夜空を

忘れない
やむことの無かった震度4クラスの余震に慣れてしまった不思議な感覚を

忘れない
停電が回復した朝に1階の洗濯機が回る音で目覚めた安堵の朝を

忘れない
昼はギラついた目をしていたのに夜ベッドに入ると瞬時に眠りについた不思議さを

忘れない
前日にたまたまポリタンク2つ分の灯油を買っていてそれが丸々残ってた安堵感を

忘れない
停電になった暗い部屋の中で石油ストーブの赤く光る筒の温もりを

忘れない
家が流され家族を失い明日への希望など微塵も無くなった被災者の表情を

忘れない
明日であの日から10年になるけどあの日体験した記憶はひとつたりとも忘れることは決してない
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2018年03月11日

あの日から7年、共有という機会

あの日から7年。今年小学校に入学する新入生は、あの日以降に生まれた児童です。

自分は関東大震災を知らない人であり、戦争を知らない子供たちであるわけですが、この世代現象が東日本大震災にも当てはまる時がすでに訪れています。

災害や人災を経験した人の話を何度聞いても、リアルに感じることができない未経験の人たち。多くの人がそうであるように、自分もまたその一人です。

この時代は誰でも録画機能を持つスマホを持ち、即座に動画投稿サイトに投稿し、それを世界中で共有できる時代です。
動画投稿サイトの中では膨大な記録映像を見ることができ、その量は昭和以前の震災や人災の記録量とは比べ物になりません。

正確な状況を焼きこんだ絵、感情までも織り込まれた音。もしかしたら、どうしても超えられなかった「未経験」という未知の現象は、たくさんの記録映像に触れることによって、解消できるのかもしれません。
知らないという事象は情報が無いのではなく、あふれかえる情報の中から必要な情報を探し出せなかっただけなのかもしれません。

代々伝わる経験者の話、長く残る無言の石碑、そして、確実に残していかなければならない記録映像。
共有とは、共に怖がり、共に学ぶ機会です。これからも正しく共有されていくのであれば、今年入学する児童も戦争を知らない子供たちでなくなるのかもしれません。

あの日から7年、文明の進化をしっかりと咀嚼していけば、人類は自らが進化させた文明に追いつきながら生きていけるのかもしれません。
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2017年03月11日

あの日から6年、意識の微分化


北国では3月はまだまだ冬です。蛇口から注がれる冷たい水で手を洗うと、骨まで冷えて次第に感覚が無くなって思うように動かせなくなります。

突然押し寄せてきた蛇口の水よりも冷たい海の水で体の自由を失って命を奪われた人。それでもなんとか助かった人。どちらにしても、どんなに冷たかったんだろうとこの時期になると毎年思います。
瓦礫とともに押し寄せた濁流。その濁流は、生きる者の自由を奪いました。
気が狂うほどの冷たさは、肉体と精神の希望を奪いました。

忘却や慣れは重力のように常に作用し続けるので、これからも同じように作用し続けるでしょう。避難方法や非常持出袋などの備えについて再確認するだけでは、その作用から逃れることはできません。
数は足りているか、もっと別の方法は無いか、社会の成熟から新しいものが生まれていないか、備えという行為そのものに常に改革や改新を施し、この行動自体を生き物のように扱っていかなければならないのだと思います。

常備品や非常持出袋の中身を昨年大きく変えました。準備開始当時の「万全」の多くが現代の「机上の空論」になリ始めていたことを感じていたからです。机上の空論を定期的に再確認しても意味が無く、改革や改新で現代の息を吹き込む行為が必要だと思います。生き物は生きているので呼吸が必要だということです。

あの日から6年。習慣やイベントのように振り返るのではなく、日常的に自分で自分の背中を押す労力が必要な時期に入りつつあるのかもしれません。
背中を押してみて過去の影と今の実体との差を見つめ、影の輪郭が違えば意識を見直し、影の濃さが違えば頭上の雲を取り除かなければなりません。
差分を意識して変化に敏感になる、この姿勢を懸命に維持していくことが、未来への備えにつながるのだと思います。

停電で真っ暗になった夜の風景には、輪郭というものがありませんでした。頭上には小麦粉を振り撒いたような星屑があり、その中に細くて暗い冬の天の川が弧を描いていました。一生忘れられない風景です。
 
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