2012年03月11日

あの日から1年、これからの覚悟

あの日から今日で1年。短かった1年なのか長かった1年なのか、あまりにも非日常的な事象であるので、日常の時間の感覚では理解することができません。

今でも時々Youtubeなどで津波などの動画を見ることがあります。見たいという気持ちも無く、見たくないという気持ちもありませんが、頭のどこかに忘れないようにしたい思いがあるのだと思います。

ACのポポポポーンのCMを見ると、今でもあの日から4月ごろまでの特有の空気感で包まれます。たび重なる余震が続く中、停電や断水に対する対策や食糧の確保などで心が休まることがありませんでした。

普通はテレビなどで状況を確認するのですが、2日間ほど停電でしたのでラジオで情報を得るしかありませんでした。カーナビの小さな画面で数回テレビを見ましたが、中継局のバッテリーが弱くなるにつれてテレビの映りも悪くなり、最終的には全局全滅しました。
大きな映像をじっくり見たのは、4〜5日後になります。

ウチはほぼ被害はありませんでした。津波にも襲われませんでしたし、家屋の損傷や家具の転倒もありませんでした。津波に家を流されたり家族を失ったりした人から見れば、"被害者"には属しません。

しかし、常に生活に不安を抱えながら生きていく日々が長く続きました。これは、岩手県や東北地方だけでなく、断続的に余震が続いた関東地方も同じでしょう。
ましてや、放射性物質に関しては全国の消費者は、それに対しての緊張感を強いられたでしょう。

来るべきものがついに来た。日本も終わりか。そういった国レベルの壮絶な危機感を感じた人は実際は少なかったと思います。
しかし、その次元にかなり近づいていたことは確かです。日本が終わるような事象は、危機感よりも前に現実のほうが先に襲ってくるのかもしれません。

原発さえ大丈夫だったなら…。もしもの仮想は無意味ですが、この一線は非常に悔いるところです。絵空事の扱いをされていたメルトダウンも普通に起こっていました。あってはならない放射能漏れも同様です。その危険度は今でも変わることなく継続しています。

政治が悪い政党が悪い東電が悪い、誰が悪いのかを知りたがることは間違っていませんが、あまりにも大変な事象であるので、こういう場合は国は国の仕事をしなければなりません。
真実を明かさないことは必ずしも悪か、明かさないことで結果的にトータルな被害の度合いを小さくすることができるのであれば、それは必ずしも悪とは言えないのではないかとも思います。
国の仕事は基本的に総合判断です。一場面ごとの判断ではなく、経済や外交に至るまで全方面での総合判断のもとに動くのが国です。

自分の近しい人がそのために命を落とすことになってもそう思うのか。そのときは感情的な怒りを国にぶつけるでしょうが、根本は変わらないので最終的には仕方がなかったと判断すると思います。他の100人が死んでも近しい1人を助けてもらえば感謝はするでしょう。しかし、それは必ずしも正しいことではないはずです。

自分を含めて人間はロボットではないので、その時々に感情が揺れます。それは悪ではなく、自然な姿です。抑えようとしても抑えられないような異常な事態だと考えればいいことです。
しかし、冷静さを追求することは必要です。どこまでも可能な限り冷静であってほしいと思います。日本人はその点においては長けているので、一定の自信は持っていいでしょう。

あの日から1年。次に来ると言われている様々な自然災害。今でも紙一重の状態の原発。危機感だけを高ぶらせてノイローゼになるのは無意味です。
日本人ならその長けた能力を信じて、着々と備えを充実させていくべきだと思います。

がんばろうがんばろうと気持ちを支えるだけでなく、備えよう打ち勝とうと足を踏み出せればいいなと感じます。
確かに精神論も時に力になりますが、それだけじゃ疲れるでしょう。確かな備えを持って正直な安心感を持つのもいいのではないでしょうか。

自分の命を他人に守ってもらおうと思うのは間違いです。大災害時には絶対的な人出が足りません。だから個人での備えが必要になります。
世の中が大混乱になっているときに、消防に連絡すれば来てくれるだろうとか避難所に行って誰かから食べ物をもらおうとか、そういう判断力しか持てないことは公の迷惑になります。こういうケースでは、これは助け合いとは言えないでしょう。少なくても互助ではありません。
助け合いはもちろん必要ですが、助けることには限度があります。この限度を正しく判断できないと、その場の秩序を乱すことになるかもしれません。

備えには相応の時間と費用がかかります。限りある時間の中で買い出し、限りあるお金の中から買ったものです。決して暇だったからとか趣味だったからで集めたわけではないと思います。常に何かを犠牲にし、日常の生活に少なからず影響を出しながら命を守るために集めたものです。立場が逆になったとしても、そういうものを簡単にくれとは自分は言えません。

あの日から1年。人間は忘れる生き物ですので、Youtubeなどで時々動画を見るのもいいでしょう。
進んだ文明のもとで起こった災害は、その記録量を膨大なものにしました。残された記録から学習することによって、文明はまた進歩していくものかもしれません。
合理化や簡素化も進んでしまう文明の進歩、その脆さを補うためにもアナログ生命体である人間の進歩もまた必要ではないかと思う次第。
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2011年09月11日

あれから半年、変わったこと

東日本大震災から今日で半年。もうそんなに経ったのかという気持ちと、まだ半年なのかという気持ちが共存しています。
あの日以来はっきり変わったことが自分自身にあります。
それは、ライターサイズのラジオとLEDライトとミニサバイバルツールの3点を常時身につけていること。ベルトにつけているので寝るときと風呂のときはさすがに外しますが、その他の時間は常時防水処理をした状態で身につけています。
まず情報、まず灯り、そして最低限の工具。いざというときにはそれらを最初の突破口として、どこにいようと次の行動をとれればと思っています。

時間が過ぎていくたびに、大震災関連の情報がうざくなったり飽きてきたり不快に感じたりして、いつのまにか避けて通ったり考えることも嫌になったりするかもしれません。
しかし、これからはそういう逃避と戦うことになるのではないかと思います。忘れてしまえばそりゃ楽です。非常持出袋の賞味期限も考えなくてよく、日々の生活のことだけを考えて今まで通り生きていくこともできます。

でも、そんなんでいいんでしょうか。何も学習しないのですか?あれはただのイベントだったのですか?
そのように自分自身に言い聞かせ、これからも最低限の緊張感を保ち続けなければなりません。
どんなに備えてもすべての問題をクリアできるはずはありません。しかし、いざという時の苦痛や痛みの軽減にはつながるのかなとは思っています。また、何らかの効率も上げることができるでしょう。何より、備えの行動をとったという自信が持てます。
自信なんて何にもならないよと思うかもしれませんが、非常時の中で正しく冷静な判断をとることの最も基本的な支えが自信のような気がします。
最低限の知識や物資がとりあえずあれば、次の行動にすぐ移れます。わからないどうしようとか迷う余裕などは非常時には無く、慌てず急げ即行動を基本としなければなりません。
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2011年04月08日

昨夜の余震の瞬間のもよう

地震が来る前に、まず一瞬停電しました。20秒くらい前にほんの一瞬。0.1秒ぐらいでしょうか。
それから10秒後、また一瞬停電しました。今度はさっきより少し長くて0.3秒ぐらいでしょうか。
その直後に縦揺れの微振動が始まり、携帯から緊急地震速報の警戒音が鳴りました。同時にパソコンの画面でも緊急地震速報の画面が出てました。
この画面が出たころに部屋の灯りが30%ほどの明るさになり、こりゃ停電が来るなと思ってパソコンをシャットダウンしようとマウスを操作しましたが、揺れで思うようにマウスを動かせません。この時すでに本震が来てました。右手ですぐそばの懐中電灯を取ろうとしましたが、手につかむまでに6〜7秒かかりました。揺れの中で階段を駆け下り、親の無事を確認した次第。

今回の揺れ方は311のときよりも恐怖感がありました。初期の縦揺れが大きくて長かったのです。この時点で、とんでもない横揺れの到達を感じ、それが怖かったのであります。
また、本震の揺れ方も311とは違い、前に落ちなかったものが落ち、ずれなかったものがずれていました。

地震到達時には起きていましたが、やはり夜の地震+停電は怖いです。そのせいで昨夜は4時まで眠れませんでした。

良かったなと思ったことは、数日前にランタン型の懐中電灯を2個買っておいたこと。広い範囲を照らせるので、ろうそく以上の役割をします。
また、乾電池で携帯に充電できる器具も同時に買っておきました。これは使いませんでしたが、停電があと半日長かったら使っていました。

気がついたことは、やはりマンガン電池の短命さ。初期の明るさもアルカリ電池よりやや暗く、その後の明るさも数時間で半減しました。現在の状況を考えれば、長持ちのするアルカリ電池になります。ちなみにこのマンガン電池は311のあとに買い足したもの。それしかなかったので買いましたが、普段はアルカリのみを買っています。

「嫌な予感」についてですが、不幸にもその通りになってしまいました。この種の偶然が続いたのはこれで4〜5回目です。ちなみに、普段お世話になっている仕事の関係者も方も、同じ夜に妙な夢を見ていました。地球が何かを発信していたのかもしれません。

今現在自分自身がいる地域での災害は予感として出ることがありますが、遠くの災害では出たことがありません。ただ、なんとなくで書くのも非常に恐縮なのですが、なんとなくそわそわしてるような気がします。なんなんでしょう。群馬とか長野なのでしょうか。近くじゃない感覚です。あんまりこの種のことを書けば風評だデマだ言われそうですが、なんかまだ変なので戯言として書いておきます。
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携帯より連絡

人も家もカタツムリもアリも無事で被害なしです。また停電してるので、停電復旧後にまた書きます。
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2011年04月07日

地震発生直後のあの日を回想

会社から急きょ帰宅した家。停電の中で大音量で流れるラジオの声は次から次と被害の大きさを連呼し、携帯は5分から10分おきぐらいに緊急地震速報のブザー音を発し、そのたびに来る震度4〜5の余震。
ラジオの大津波襲来のニュースで、ここで初めて車載テレビがあることに気づく。車の中でテレビをつけると何十台もの車が押し流される映像。何分見入ったかは記憶になく、親に尋常でない災害であることを告知。ここで初めて妹に無事であることを携帯メールで連絡。
復旧しない停電に断水の可能性を考え、ポリタンクを引っ張り出して水の確保を開始。同時にありったけの大きい容器を風呂場や洗面所に置いて水をためる。
ここで一度会社に戻り、反射式ストーブとラジカセ、ありったけの電池と懐中電灯をかき集めて家に戻る。
いつの間にか鍋でご飯を炊いていた親、その日の夜は停電なので冷蔵庫から悪くなりやすいものを優先しておかずにする。ちなみにニシンの塩焼き。
とにかく慌ただしく走り回る繰り返しで、あっという間に日没。その後は携帯テレビとラジオででかい余震の中で必死に情報収集。翌朝の買い出しを想定して早めに寝る。

予期していなかったことは、車載テレビも携帯テレビも地震発生翌日には映らなくなっていたこと。ひとつまたひとつと映るテレビ局が減り、しまいにはNHKまで映らなくなりました。中継局が非常バッテリーを使い果たした結果だと思います。
携帯基地局も何か所かダウンしたようで、携帯の電池がどんどん減っていったことも予期していなかったことです。

そんなこんなで、携帯に届いたメールに返事するのもままならない状況でした。つか、リアルタイムで届いていなかったメールも多々あったのも事実。たくさんの方々にご心配をかける結果となりました。
ただ、肉体も精神もこのときは完全にサバイバル状態になっており、頭の中は常に緊急非常会議、慌ただしさがかなり極限まで達していました。家を自衛することをとにかくやらなければならなかったのであります。

あれからもうすぐ一か月なんですね。うそみたいです。昨日のことのような感覚が強いです。
発生からは一か月経ちましたが、災害はまだまだ続いています。サバイバルの要素が消えるのは、もう少し先のようです。
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2011年04月05日

嫌な予感

昨夜は夢ばっかり見てて眠りも浅く、今日はぼんやりした1日でした。
妙に懐かしい夢ばっかりで、起きてからもポポポポーンとしてました。
前にも何回かこういうことがありましたが、それから何日かして大きめの災害が発生していたのは事実。予感でも予知能力でもないでしょうが、同じようなことか複数回あったのでなんだか嫌な感じなわけです。
なんかこう、ズバーンというかボーンというか、そういった急に発生するような変な感じ。動の前の静が今回のような夢なわけです。
今の状況と照らし合わせるのはあまりにも恐ろしいのですが、何も起こらないことを祈るばかりです。念のため、携帯フル充電とガソリン満タンにしておきます。
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